【昭和17年】冥友録

1月19日 郷誠之助(78)
聖路加病院で肺炎のため。慶応元年(1865)岐阜県生まれ。明治16年(1883)東大入学、翌年ドイツ留学、7年後に帰国。28年(1890)日本運送の社長に就任。44年(1911)東京株式取引所の理事長、同年貴族院議員。大正7年(1918)軍需委員会委員、8年(1919)臨時財政経済調査会委員。晩年は内閣参議、大蔵省顧問ほか、日本経済連盟・全国産業団体連合会・日本貿易振興会・日満実業協会の各会長を兼ね、戦前日本の財界のリーダー的存在。男爵。

1月28日 徳山璉(40)
慶応病院で敗血症のため。歌手。明治35年(1902)藤沢市生まれ。昭和3年(1928)上野音楽学校卒業後、ビクターの専属歌手となり「隣組の歌」を始め軍国歌謡を多く歌い、軍歌歌手の第一人者となる。映画、舞台にも進出し、古川緑波と組んで大衆的な人気を得た。

2月23日 シュテファン・ツヴァイク(60)
最後の亡命先ブラジルで若き妻と共に服毒自殺。オーストリアの小説家、批評家。1881年ウィーンの富裕なユダヤ系商人の家に生れる。叙情詩に早熟な才能を発揮。その後一連の伝記的評論に成果。ヴェラーレン、ロマン・ロラン等各国の文人と交わり、ナチスの台頭に危機感を覚えイギリスへ亡命、40年ニューヨークに移った。

3月15日 安井仲治(38)
甲南病院で高血圧と腎臓炎のため。写真家。明治36年(1903)大阪の洋紙貿易商の富裕な家に生まれる。昭和5年(1930)丹平写真倶楽部創立に参加し、工事場、メーデーなど社会的テーマに接近し、技巧的表現をまさぐった後、「病める犬」「浅春」「朝鮮婦人」「彷徨する猶太人」など技巧を超えて写真家として「観る」事に集中していった。死後も長く作品の大半は未発表だったが、62年(1987)初めて神戸で遺作展が開かれた。

4月15日 ロベルト・ムジール(61)
亡命先ノスイスで脳卒中のため急逝。オーストリアの小説家。1930年『特性のない男』の第1巻、33年に第2巻第1部を刊行し反響を呼ぶが、経済的にはむくわれなかった。38年イタリアを経てスイスに亡命。苦しい亡命生活中で書き続けたが未刊に終わったこの「特性」を拒否する男の物語は、大戦後ようやく高い評価を得た。

5月11日 萩原朔太郎(57)
肺炎で。詩人。明治19年(1886)群馬県前橋市生まれ。生家は医業。大正5年(1916)室生犀星と詩誌「感情」創刊。翌年処女詩集『月に吠える』刊行、繊細な感受性と豊かな表現力で口語自由詩を確立し注目を集め、『青猫』刊行にいたって哀傷と倦怠にみちた独自のスタイルを築く。14年(1925)より東京在住、口語自由詩を論じた『詩の原理』刊行、近代口語詩の完成車として後世に多大な影響を与えた。他の詩集に『純情小曲集』『氷島』など。娘萩原葉子による伝記小説『天上の花』がある。

5月15日 佐藤惣之助(51)
脳溢血。朔太郎葬儀の葬儀委員長をした翌日トン死。詩人。明治23年(1890)川崎生まれ。人道主義、民衆派の詩風から肉感的な感覚あふれる詩へ。夫人没後、朔太郎の妹周子と結婚。昭和13年(1938)久米、林房雄らと武漢作戦に従軍記者として参加。『怒れる神』の従軍詩集あり。
『深紅の人』『わたつみの歌』など多数。民謡・歌謡曲の作詞者としても知られ、「赤城の子守唄」「湖畔の宿」など多数。

5月16日 金子堅太郎(89)
神奈川県葉山一色恩賜松荘にて腎盂膀胱炎で。嘉永6年(1853)旧福岡藩生まれ。明治4年(1871)藩主に従い渡米、ハーバード大学法律科卒業。伊藤博文の下で井上毅、伊藤巳代治らと明治憲法起草案作成に参画。また不平等なっ国際条約改正にも力をつくし、明治31年(1898)第三次伊藤内閣の農省務大臣、33年(1900)第四次伊藤内閣の法相を歴任。日露戦役の功により子爵、昭和9年(1934)伯爵。

5月16日 ブロニスラフ・マリノフスキー(58)
イギリスの社会人類学者。1884年ポーランドに生まれる。トロブリアンド諸島の住民と数年間生活を共にして得た調査結果に基づき『西太平洋の遠洋航海者』等の重要な著作を発表。実地調査を重視する文化人類学の調査方法の先駆となる。それまでの人類学の歴史主義的視点に見られる曖昧さを批判。「機械主義」の立場に立ち、ラドクリフ=ブラウンと共にイギリスの社会人類学の祖とされている。

5月29日 与謝野晶子(65)
荻窪の自宅にて死去。歌人。明治11年(1878)堺市の老舗の生まれ。与謝野鉄幹と恋愛、出奔。明治34年(1901)第一歌集『みだれ髪』を刊行、女性の自我解放を謳歌し浪漫主義歌風を確立。詩「君死にたまふことなかれ」(日露戦時)は社会的反響をよぶ。歌集『舞姫』『白桜集』など多数。『源氏物語』の最初の口語訳刊。
○やは肌のあつき血潮に觸れも見で さびしからずや道を説く君

8月23日 竹内栖鳳(79)
湯河原にて湯治中病没。日本画家。元治元年(1864)京都の料亭「亀政」の長男に生まれる。明治14年(1881)幸野楳嶺塾に入門、棲鳳の号をうける。内国勧業博覧会などで受賞を重ねるなどしだいに頭角をあらわし、33年(1900)渡欧、帰国後栖鳳と改め「伊太利秋色」「古都の秋」など西洋の写実表現をとりこんだ独自の画風を確立。以後文展、帝展などで京都画壇の代表的存在として活躍。昭和12(1937)年第一回文化勲章を受章。代表作は「斑猫」「雨霽」など。

11月2日 北原白秋(58)
腎臓病と糖尿病のため。詩人、歌人。明治18年(1885)福岡県沖端村(現柳川市)生まれ。「明星」脱退後「パンの会」を興し耽美主義文学の中心的存在となる。詩集『邪宗門』歌集『桐の花』などでエキゾチックな象徴派詩人として名を確立。「赤い鳥」や山田耕筰との雑誌「詩と音楽」にも関係し童謡、民謡、小唄なども多数作詞――「あわて床屋」「砂山」「からたちの花」など。明治45年(1912)隣家の人妻との恋が姦通罪に問われスキャンダルとなる。昭和12年(1937)眼底出血のためほとんど視力を失った。
○月読(つきよみ)は光澄みつつ外(と)に坐(ま)せり かく思ふ我や水の如かる

11月5日 清浦奎吾(93)
嘉永2年(1849)、熊本県生まれ。明治40年(1907)枢密顧問官となり、大正13年(1924)1月内閣総理大臣となる。昭和13年(1938)ドイツ・ライプチヒ大学より名誉博士の称号。

12月2日 尾形亀之助(42)
ぜんそく、衰弱死(仙台)。詩人。明治33年(1900)宮城県生まれ。画家を志し村山知義らと「MAVO」結成。アナキスト系詩人と交わる。「色ガラスの街」「雨になる朝」など。年とともに虚無的傾向強まり、郷里仙台へ帰ったのちは友人との交際を絶ち、詩壇とも絶縁、一吏員として暮らしたのちひっそりと死んだ。
○夜の雨は音をたてゝ降ってゐる/外は暗いだらう/窓を開けても雨は止むまい/部屋の中は内から窓を閉ざしてゐる(「雨が降る」)

12月4日 中島敦(34)
ぜんそく発作の持病で。小説家。明治42年(1909)東京で代々漢学者の家に生まれ、東大国文科卒業後、横浜高女勤務。昭和16年(1941)南洋庁の役人としてパラオに赴任するが体調悪化で翌年帰国。その間、深田久弥の推挙で『山月記』、『光と風と夢』など発表、一躍新進作家として注目され、作品集を刊行したがその年急逝。没後、遺稿『李陵』が発表され、中国古典などの幅広い教養と存在論的主題を根底においた作品群に高い評価。

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