【昭和2年】冥友録

3月31日 康有為(72)
1898年清の光緒帝に用いられ戊戌の変法を断行したが、100日間で西太后らにクーデターで倒され、日本に亡命。清朝改革に努めたが革命派の台頭で保守化した。

4月6日 志賀重昴(65)
東大外科で右膝関節腫瘍と心臓病のため。文久3年(1863)三河岡崎生まれ。明治21年(1888)三宅雪嶺らと雑誌「日本人」を発行し、国粋保存主義の論を張り、農商務省山林局長、32年(1899)鉄道敷設調査を目的に中国横断、後の「対華二十一ヵ条要求」の路線となる。衆院議員2回当選。地理学者。

5月1日 万鉄五郎(43)
明治18年(1885)岩手県生まれ。早稲田中在学中に長原孝太郎洋画研究所に学び、明治39年(1906)宗活禅師について渡米、東京美術学校を卒業五斎藤与里らとフューザン会をおこし、キュービズムの影響を示す「もたれて立つ人」を二科展に出品。大正8年頃精神衰弱となり、南画水墨画に興味を持ち、昭和に入って独特の画境をつくり多作となった。

5月2日 景山英子(61)
南品川の自宅で、心臓病のため。慶応元年(1865)備前岡山生まれ。明治17年(1884)大井憲太郎らと共に大阪事件で検挙投獄、覆いの内妻となり、子をなすが、別れ22年(1889)福田友作と結婚、士別後婦人の経済的独立を過大に角筈女子工芸学校を開き、アナキスト石川三四郎らと共に40年(1907)「世界婦人」を発刊(42年(1909)発禁)、婦人解放を主張し、生活のため呉服の行商を始める。『妾の半生涯』『わらはの思出』。晩年は不遇。

5月27日 イサドラ・ダンカン(49)
ニースで自動車事故のため死去。アメリカ出身の女流舞踊家。1878年サンフランシスコに生まれる。1900年パリで認められ「フリー・ダンス」を創始。裸足とギリシャ風のゆるやかな衣装はトゥ・シューズとコルセットからの解放を、師を持たず己の身体の声によって作り上げた独特の舞踊世界は、体系化の拒否、即興性、自由な身体といった20世紀的表現の方向を開示している。

7月24日 芥川龍之介(35)
小説家。明治25年(1892)東京京橋生まれ。大正5年(1916)『鼻』が漱石に激賞される。他に『地獄変』『河童』など。久米正雄に発表を託した遺稿『或阿呆の一生』に「人生は一行のボオドレエルにも若かない」との寸言あり。
○水洟(みづばな)や鼻の先だけ暮れ残る
(没後刊『澄江堂句集』所収、『自嘲』と題し、死の前、主治医下島空谷(くうこく)に贈る。制作年不明)

8月11日 古泉千樫(42)
肺結核で。歌人。明治19年(1886)千葉県生まれ。伊藤左千夫に師事、「アララギ」同人。のち「日光」に参加。アララギを離れる。写生を基調に、温雅でゆたかな歌風。『川のほとり』『青牛集』など。
○うつし世のはかなしごとにほれぼれと遊びしことも過ぎにけらしも

9月2日 梅ケ谷藤太郎(49)
二代目。明治11年(1878)富山県生まれ。第二十代横綱。常陸山と人気を分けた。幕内成績三十六場所168勝27敗優勝4回。

9月18日 徳冨蘆花(60)
伊香保温泉で心臓病のため。実兄蘇峰氏と臨終の床で15年ぶりに会い、「之まで私が悪かった」と不仲をわびて後10時間後に死亡。明治元年(1868)熊本県水俣町生まれ。キリスト教の洗礼をうけ熊本薬学校助教授、22年(1889)上京後兄の経営する民友社入りし「国民新聞」に『不如帰』を連載、36年(1893)「黒潮」に兄への告別の辞を掲げ、39年(1896)パレスチナに巡礼しロシアにトルストイを訪問、帰国後東京近郊農村に居を移し、「美的百姓」となり、性欲肯定、生活即芸術の作家となり、妻との共著『富士』を書く。

八木重吉(29)
肺結核病没。詩人。東京都南多摩郡堺村(現町田市)生まれ。21歳受洗。無教会主義の信仰の道に向かう。詩集『秋の瞳』『貧しき信徒』『花と空と祈り』
○木に眼(め)が生(な)つて人を見てゐる「冬」

中村雀右衛門(53)
大阪中座「増補忠臣蔵」に出演中、舞台裏で卒倒、脳溢血のため。明治8年(1875)大阪生まれ。13年(1880)中村笑太郎の名で初舞台、大正6年(1917)三世中村雀右衛門を襲名。女形として大阪最上級の名優。

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