【昭和3年】冥友録

1月13日 トーマス・ハーディ(89)
1840年英国生まれ。31歳で処女作を発表、『アンダー・ザ・グリーン・ウッド・ツリー』で文壇に位置を築き、『テス』で世界に知られるが、途中から小説を断ち詩に入って長編叙情劇詩『ダイナスツ』を発表、シェークスピアの『リア王』以後最大の作といわれる。故郷英仏海峡を臨むドーセットシャ郡で大半を過ごした。

2月7日 九条武子(41)
西本願寺大谷尊師二女として明治20年(1887)生まれ。本願寺婦人会、感化園六華園長等各種社会慈善事業に努力。歌集「踏絵」。

4月22日 大倉喜八郎(92)
赤坂葵町の自宅で。天保8年(1837)越後豪商の三男に生まれる。安政元年江戸で鉄砲店開業、戊辰戦で官軍に武器を売り巨利。西南、日清、日露戦で軍需品調達・輸送に当たり、明治44年(1911)大倉組を組織、大日本麦酒、日精製油、帝国劇場、帝国ホテル、大倉高商(現東京経済大)まで翼下に。

5月19日 マックス・シェーラー(53)
ドイツの哲学者、社会学者。1874年に生まれる。初期には現象学影響を受け、カント哲学を批判的に継承し「実質的価値倫理学」を唱え、後に知識社会学から「哲学的人間学」を構想。その思想背景にはカトリシズムがあった。彼の興味は多岐にわたり、その著作は多くの矛盾をはらんでいるが、それは彼の生きた時代、とりわけワイマール期ドイツの混乱した状況の反映でもあったという意味で注目に値する。

5月21日 野口英世(53)
西アフリカで黄熱病研究中、同熱病で。明治9年(1876)福島県生まれ。33年(1900)渡米後、ロックフェラー医学研究所員、44年(1911)梅毒の病原体スピロヘータを純粋培養。

7月23日 葛飾善蔵(42)
世田谷三宿の自宅で、結核のため。小説家。明治20年(1887)青森県生まれ。徳田秋声に師事。貧窮と放浪と病苦のうちに、芸術のため生活のすべてを犠牲にした大正期の典型的な私小説作家。『哀しき父』『子をつれて』など。「『明日はおれは死ぬ』といって、死ぬ前夜、寝床の上で一升瓶の酒を飲んだそうである」(広津和郎『年月のあしおと』)。
芥川につづき葛西善三が死んだとき、若い文学者は「大正文学は終わった」という痛切な終末意識を味わった、と伊藤整は回想している。

8月12日 レオシュ・ヤナーチェク(74)
チェコスロバキアの作曲家。1854年モラビア地方に生まれる。プラハ、ライプチヒ、ウィーンで音楽を学び、後にブルノ音楽院の教授となる。モラビアの民俗音楽を研究し、それを自身の音楽に取り入れることで、意識的に西欧的アカデミズムからの脱却を試みた。代表作に『グラゴル・ミサ』がある。

8月15日 佐伯祐三(31)
パリ郊外のエブラール精神病院で客死。画家。明治31年(1898)大阪の寺の住職の子に生まれる。東京美術学校卒、大正12年(1923)渡仏、ブラマンクに師事し、ユトリロに影響をうけパリ街景を描く。15年(1925)帰国し、「1930年協会」結成に参加。昭和2年(1927)再びパリへ行き場末レストランや広告の貼られた壁などを描いた。

8月30日 フランツ・フォン・シュトゥック(65)
ミュンヘンで死去。ドイツの画家。1863年テッテンバイスに生まれる。92年ミュンヘンでセセッション(分離派)の創設に参加。95年ミュンヘン・アカデミーの教授に就任。絵画だけでなく版画、彫刻、建築等を含む総合芸術を構想した。代表作に「戦争」「罪」等がある。

9月17日 若水牧水(44)
沼津千本浜の自宅にて肥大性肝硬変。歌人。明治18年(1885)宮崎県生まれ。尾上紫舟に師事。第三歌集『別離』で名をあげ、歌壇に自然主義の流れをよび、「牧水・夕暮の時代」を招来。初期の恋愛歌が有名だが、生涯愛した旅と酒をよんだ歌が多い。歌集『くろ土』『山桜の歌』、紀行文集『みなかみ紀行』など。
○幾山河越えさり行かば寂しさのはてなむ国ぞ今日も旅ゆく
○かんがへて飲みはじめたる一合の二合の酒のなつのゆふぐれ
牧水の主治医稲玉信吾氏の病床日誌によると、牧水は死の日まで一日4・500ccの酒を摂取していた。死の1時間前の朝食は「日本酒100cc、卵黄1ヶ、玄米重湯約100cc」、末期の水も酒であった。

9月18日 石井露月(56)
俳人。明治6年(1873)秋田県に生まれる。上京後正岡子規と知り、子規門流「日本派」四天王の一人として活躍。医術開業試験に合格し帰郷後医院開業。「俳星」を創刊、東北地方の「日本派」の拠点となった。生前句集はつくらず昭和5年(1930)『露月句集』刊。
○里の子と路に遊べり風邪の神

10月15日 広津柳浪(68)
文久元年(1861)肥前(長崎県)生まれ。維新後外務省役人となった父と共に上京。放埒のため放浪窮乏生活をし、尾崎紅葉を知り硯友社参加。明治22年(1889)「残菊」を書き、28年(1895)「変目伝」「黒蜴蜓」「亀さん」などで〝深刻小説〟の代表とされ、以後「今戸心中」「畜生腹」。38年(1905)「目黒巷談」以後厭世的となり明治末からほとんど筆をとらず。広津和郎は二男。

12月25日 小山内薫(49)
四谷南寺町の自宅で心臓麻痺で。明治14年(1881)広島生まれ。東大英文科卒。明治40年(1907)西欧近代劇の移入を目的として第一次「新思潮」創刊。42年(1909)市川左団次と自由劇場を創立、解散後松竹キネマ入社、大正13年土方与志と築地小劇場を創立、新劇の基礎をきづいた。戯曲に「第一の世界」「西山物語」「森有礼」など。自伝小説に「大川端」散文詩集『夢見草』がある。

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