朴烈・金子文子怪文書事件

関東大震災直後の9月3日保護検束され、大正15年天皇暗殺をくわだてたと大逆罪で死刑を宣告された朴烈と金子文子は、恩赦で無期懲役に減刑されたが、金子は同7月23日宇都宮刑務所栃木女囚支所で自殺、この訃報と同じくして東京都内に金子が朴烈のヒザにもたれている写真を付した怪文書が配布され、大逆罪の両人に優遇を与えた司法当局を弾刻していた。若槻内閣は怪文書の報道を禁止したが、その後撮影者が東京地裁予審判事立松懐清であることが判明、写真は朴烈自身から釈放で出る男を通じて右翼の岩田文夫に渡り、これを北一輝邸に持ち込んで怪文書が起草されたもので、野党政友会と政友本党は、第五十二議会で内閣打倒の攻撃材料として大逆犯に減刑を奏請し司法権の威信を汚損したと弾刻決議案、内閣不信任案を提出したため、この日急きょ議会停会となり、若槻首相、田中義一政友会、床次竹次郎政友本党両総裁が会談、「御大喪」にあたり政争中止を申し合わせた。(二人の大逆罪は、失敗に終わった爆弾入手計画をデッチ挙げたもので、朴烈は20年11月出獄後、在日本朝鮮遺留民団団長等で活躍)

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