東京初空襲

東京爆撃司令官ドーリットル中佐が率いる16機をのせた空母ホーネットを中心とする第18機動部隊と空母エンタープライズを旗艦とする第16機動部隊が、東京に向かっているのを日本軍が発見。米軍は日本軍の迎撃態勢が整わないうちに急きょ、東京空襲の実行を決定。

午前8時30分
東京に警戒警報発令。

午後0時29分
空襲警報発令。

午後0時30分
東京、京浜地方には13機が空襲、大井、蒲田、品川、早稲田、尾久、淀橋、川崎、横須賀などで被弾、被害を受けたが、被害は以降のものに比べて軽微で、市民の戦意高揚に役立った。
「東京・荒川区尾久町では、荒川岸の旭電化の工場周辺に焼夷弾が落とされたが、空襲を知らない子どもたちは、飛来した飛行機が、低空から黒いものをつづいて落としたので、飛行機上よりまいたビラかと思い、ひろおうとして、われがちに落下するほうへかけていって焼夷弾の直撃に当って数名が死んだ。自分の家も、爆風で、片側のガラスが全部くだけた」(当時の被爆者・吉田兵衛談)。
名古屋へ2機、神戸へ1機が現れ銃爆撃。空襲を終えた爆撃機はいずれも東シナ海から中国の米軍基地に着陸したが、1機が日本軍占領地に不時着。

山本五十六連合艦隊司令長官は、この奇襲に衝撃を受け、持論のアリューシャンからミッドウェーを結ぶ南北線上で敵機動部隊を撃滅する作戦を強く主張、この作戦が優先される。

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