説教強盗

12月1日
神出鬼没、巧に警視庁の警戒網をくゞり、郊外60余ヶ所を荒し廻つた例の説教強盗は、今度は市外へ出て荒し始めた。1日午前3時20分小石川小日向台町3ノ92筑波高速電気監査役大賀基作方便所の鉄の窓格子を破壊し、手拭で覆面し手袋、懐中電燈を持つた印半纏を着た、1人の強盗押入り、婦人ひな子他3名が就寝中の8畳の間の箪笥内から現金150円を窃取し、次いで一室隔つた、奥の6畳間に侵入、就寝中の甥三井合名山林部員大淵勝一夫妻に「金を恵んでくれ」と穏かに脅迫、5円余を強奪、例の本性を出して「犬を飼ひなさい、犬がゐないといくら戸締厳重にしても駄目です」と捨て科白を残し、勝一氏の足袋を貰つて4時頃悠々裏口から逃走した。

12月16日
説教強盗の名によびなされて警察を愚弄してゐる人もなげなる神出鬼没の賊はなかなか捕はれない。何しろ「頭の強盗」としてこの犯人ほど当局をなやましたのは少い。しかし捜査範囲は袋の鼠のやうに、ヂリヂリと縮小されて来たから、「こんどこそ」は縄をかけて見せると当局はいきまいてゐる。市民は恐怖にをのゝきつゝも「犬を飼への、お互に怪我をすると損ですから静かにしませう」とまるでポスターの標語めいた文句を並べて金を強奪するところに大きな探偵的興味を持つに至つた。
逮捕された暁、犯人の正体?どんな人物か――それはさておき、昨年3月以来こゝに21ヶ月高田、巣鴨、池袋、中野、杉並、大塚、淀橋の7警察署管内に出没すること実に56回。強奪した現金だけが3,589円50銭、騒がれて未遂に終つたのが7回、これを1回の稼ぎ高にして46円24銭強、月給にしてみると128円になる。警視庁は以上の犯罪統計を詳細な印刷物にして15日市内外各署に配付し捜査の厳達をした。
犯人の服装は多くの場合半纏を裏返しに着て半ヅボン、長靴下にはだしたびをはき手袋をして黒の覆面で押し入る。こんな風で捜査課では人相をつきとめる由なく、たゞ一つの指紋は愚か服装特長さへ知る事が出来ない。然もいつも持ち歩く懐中電燈は足もとを照らす以外には使用しない。かれの奪つてゆくのは必ず現金ときまってゐる。目の先に高価の貴金属があつても殆ど目をくれずこれがため贓品の売先などから足のつくことは断じてない。
かれの押入る家は主にその付近又は邸内に50坪以上の空地があつた。日の暮れる頃から暗闇の空地に身をひそめて戸締り寝室等を研究して多く便所、湯殿等から忍び入り先づ電燈を消し懐中電燈で現金だけ探し少い時は家人を起して短刀で居直る。これがかれの常套手段。かれの言葉は極めて静かで「騒いでお互に怪我でもしては損です」と低い調子で脅迫どころかむしろ慇懃なるものごし、それが被害者には却つて深夜の闇にこもつて物すごいのである。
騒ぎ出すものもなくまして組付く者はなかつた。たつた一度中野署管内の某陸軍将官の家に入つた時は手もなくねぢ伏せられたが例の低い鄭重な句調で平あやまりにあやまつたので懇々と説論を加へられて5円の金を恵まれて帰つた。将軍は今でもそれが名だたる強盗であつたとは思つてゐないといふ程静かな態度だった。
(東京日日)

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