【昭和1年】大震災以後

大正12年(1923)9月1日の関東大震災で東京から明治が焼失し、江戸の名残も一掃された。江戸からの一大繁華街の浅草ひょうたん池辺の十二階も震災で倒壊し、復興の中軸は、昭和通りをはじめ中心街の道路を大幅に拡張することから着手された。じきに自動車が道をわがもの顔で走りはじめる時代がやってくる…のだ。

【昭和1年】冥友録

12月29日 マイナー・マリーア・リルケ(51)
白血病のためバルモンの病院で死去。オーストリアの詩人。1875年にプラハに生まれる。91年ごろより試作を始めるが、その芸術が真に開花するのは終生の友ルー・ザロメと出会い、99年と1900年に二度のロシア旅行を体験してからであった。01年女流彫刻家クララ・ヴェストホフと結婚するが、翌年単身パリに赴きロダンに出会い深く傾倒。芸術上の影響を受ける。10年に小説『マルテの手記』を執筆。21年からはスイスのシャトー・ド・ミュゾットにこもり、『ドゥイノの悲歌』等のすぐれた叙情詩を書き続けた。

【昭和1年】流行

立ち入り禁止=小作争議で、地主側が農地への立ち入りを禁止

文化住宅=赤瓦・青瓦のトンガリ屋根の一見洋風の中流住宅。最大の特徴は洋式の応接間

モダーン

福本イズム=若者に人気のあった福本和夫のマルクス主義理論

円本

同潤会アパート

マルクスボーイ

アッパッパ

小鳥を飼うこと

ハンドバッグ

【昭和1年】雑事

1月12日
初の日刊子供新聞「こども日日」発刊。

1月20日
京橋電話局に交換手不要の自動交換機初お目見え

3月
女角力興行禁止。

3月
陸軍参謀本部陸地測量部は「五万分の一地形図」の内地(台湾、樺太を含む)の測量を完了。明治十五年から四十四年目であった。

4月22日
小学校の「日本歴史」を「国史」と改める。

5月9日
銀座松屋デパートで、飛びおり自殺始めて現れる。

5月15日
大阪の百貨店も下足番廃止。

6月18日
花柳病予防法案可決。

昭和3年(1928)9月1日 実施

8月6日
同潤会、向島中ノ郷に初の公営鉄筋アパート完成。→
9月1日
表参道に青山アパート完成。

8月13日
八木秀次氏電波指向方式アンテナの特許取得。

9月
国産小型第一号ダット自動車製造開始(後のダットサン)。

10月22日
明治神宮外苑完成、野球場など。

池田男爵殉死

夜九時半頃府下中野町一〇五四予備陸軍少佐従四位勲四等男爵池田正佑(四五)氏邸の奥十二畳間から突然ぐわう然たる銃声が起つたので、家人が直にかけつけて見ると主人正佑が、床の間に羽織はかまの端然たる姿のまま即死して居るので大に驚き直にこの旨中野署に届出た。同署から係官出張検視をしたが傍に男爵が日頃愛用の三十六番猟銃が置いてあり、咽喉部から後頭部にかけて見事一発のもとに貫き覚悟の自殺と分つた。床の間には二通の遺書あり。その一は御大喪に会し今上陛下の御孝養の程を拝聞し身に顧みて恐くの至りに耐へずこゝに慚死を相決し候もの他臣池田正佑とあり。
(東京朝日・1・1)

大奥お局廃止

新帝陛下は、当分東宮仮御所であった赤坂離宮を御在所と定められ、古き昔からの大奥お局制度を廃し典侍、権典侍、命婦、権婦等を置かぬことになった。生活簡易化の範を万民に垂れさせ給うたもので、全女官長島津はる子女子は皇后宮付女官心得となり、これまで皇后宮付正規町典侍以下各女官は当分皇太后付女官として残る。