凶作地子女身売防止運動

8月
愛国婦人会、婦人矯風会、真宗婦人会合同の東北凶作地子女身売帽子運動は現在でも継続してゐるが、昨年10月開始以来現在までの成績をきくに、救済された子女実に1,034名の多数に上つてゐる。貸付金額は総計5万2,200余円であるが府県別にすると、岩手県237名(8,900円)山形県202名(1万1,200円)青森県163名(7,370円)宮城県152名(1万1,000円)福島98名(3,350円)秋田150名(7,500円)新潟24名(2,000円)となつてゐる。この運動に刺激されたゝめか、その後長崎、福岡、愛知、愛媛等でも同様の救済運動が開始されてゐる。
(国民新聞)

永田鉄山軍務局長、斬殺

8月12日
陸軍省軍務局長室で、軍務局長永田鉄山中将が、相沢三郎中佐に刺殺される事件が発生。陸軍部内ではかねてから皇道派と統制派の対立があったが、先月皇道派に偶像視されていた教育総監真崎甚三郎大将が更迭されるにおよび、これは統制派の中心人物とみられる永田鉄山軍務局長の陰謀であるとして、彼に対する憎悪が皇道派青年将校の間に広がっていた。
犯人の相沢中佐は皇道派に属する熱狂的な精神主義者で、剣道の達人。広島県福山市の歩兵第四十一連隊から異動で16日より台湾赴任が決まっていた。10日、相沢中佐は福山をたち途中伊勢神宮に参拝して上京、この日軍務局長室に乱入して「天誅」と叫んで永田軍務局長を斬殺したもの。相沢中佐はすぐ捕らえられたが、取り調べで「おれが殺したのではない、伊勢神宮の神旨で天誅が下ったのだ」と供述。

9月4日
永田事件の責任を痛感して、林陸相が辞職。

10月4日
永田事件当時、犯人相沢中佐と入れ違いに部屋を出た山田長三郎大佐は「抜刀した相沢を見て知らぬ顔で出ていくのはおかしい」と、その行動に疑惑を受けたが、これに対し「不徳の至すところ」と自決。

初代女子アナウンサー翠川秋子心中事件

8月6日
四谷区新宿の元アナウンサー翠川秋子こと荻野千代女史(43)は7月25日和服姿で飄然と家出したまゝかへらないのでこの日家人から警視庁に捜査方を願ひ出た。荻野女史は東京女子美術大学を卒業して十数年前京橋貯蓄銀行支店に勤めてゐた夫秀雄氏に死別した後、蕨のダンスホール・シヤンクレールにダンサーをしてゐる長女美代子(24)丸の内某会社に勤務してゐる長男敏雄(22)郵便船舶平安丸に乗り組んでゐる二男輝雄(20)の3児と亡夫の母とを抱へて女の細腕一つで育てあげてきた典型的な気丈な母でまた文学女性でもあつた。日本最初の女アナウンサーとして愛宕山に名を馳せてのち成女高女の図画の教諭、白木屋の季刊雑誌編輯などを務めるかたはら原稿稼ぎをしたり、屋台のおでん屋をやつてみたり彼女の子供ゆゑの悪戯苦闘は想像以上であつた。最近はこの奮闘が漸く酬いられて子供たちはそれぞれの道に自活出来るやうになり、自分も日本観光協会嘱託として長い生活の不安はぬぐはれた。先月25日家を出たときは次男輝雄は不在で長女美代子さんと長男敏雄君だけが家にゐたが身体の具合が少し悪いといつてゐたし、時々ブラリと旅行するので静養に出かけるのだと思つて気にもとめずにゐた。ところへ数日前平安丸に乗つてゐる輝雄君にあてて母からの手紙がきた。その手紙には兄妹3人の将来を戒める母としての情味あふれる言葉が綴られてあり「亡きお父さんへの責任は果したが、…妾は疲れた」と厭世的な字句があつたのでいぶかしく思つて下船と同時に帰宅して、兄たちに話してをかしいといふので家中を探してゐると、女史の幼少からの全生涯を日記式にしたためた回顧録風の原稿に添へて家で自殺の意味の遺書が発見されたので驚いて捜査願を出したものである。

遺書
子供たちはもう大きくなつたから私も安心だ。生活に疲れた私は死の家出をする。死体は絶対に判らないやうにするから探すのは無駄だ。海の底から子供たちの幸福を永遠に祈つてゐる。私の家でした日を命日としておくれ。
(読売)

8月20日
翠川秋子女史、千葉県西崎村の海岸で死体となって発見。検視の結果、溺死は間違いなく入水は午前2時頃と推定。北条署の調べによると、翠川女史は愛人藤懸羊次君(29)と北条海岸山中旅館に宿泊した後、北条海岸からボートを漕ぎ出し約11時間海上をさまよった後、海に飛び込み心中を図ったものとみられる。羊次君の死体は海岸一帯にわたって捜査されたが何の手がかりもなく、漁師たちの話によると潮流の関係で湾外に流されたものらしい。
羊次君は中央大学法科卒業、昨年12月蒲田区役所に勤務。在学中はラグビー選手でキャプテンを4年も務めるスポーツマンだった。同君は大学卒業後、大阪へラグビーの試合に行った帰途の車中で翠川女史と知り合い、その後女史が新宿におでん屋を開いてから同家へしばしば出入りし2人の恋は急速に進展し、ついに今回の死の逃避行となった。
羊次君から遺書を受け取って現場にかけつけた父重次氏は、
「羊次は7月25日朝海水浴に行くと言つて着換へを1枚持つて出かけた儘今日まで消息がなかつたが、今朝突然館山局の消印で『どうにもならない事情で死ぬから』といふ遺書が届いたので吃驚して駈付けて来た。翠川女史とは先年大阪から帰る車中知合ひとなりおでん屋を開業してからも時々行つたやうですが、之以上の交渉は父親の僕も一寸も知らなかつた。羊次は普段は朗らかな子でしたが本年2月頃から多少精神衰弱気味でふさいでゐました。若し翠川さんと情死したとすれば女の方から引摺られたのでせう」(時事新報)と語った。

「ヴァニティ・フェアー」不敬

外務省当局では新着のアメリカの有力社交雑誌「ヴアニテイ・フエアー」8月号第39頁にわが皇室に関する重要なる不敬絵画ならびに標題が掲載されてゐることを発見、内務省検閲課当局と重要協議の上取敢ず東京市内ならびに全国の各書店に対し該雑誌の発売禁止を命ずるとともに市内の書店から全部これを買上げ、一方同日午後3時在ワシントン斎藤大使に対し至急報をもつてアメリカ国務省当局の注意を喚起せしめた上、同省をして同雑誌の発行者たるコネチカツト州グリニツチ市の「ザ・コンデ・ナスト・パブリケーシヨン・インコーポレーシヨン」に対し極めて厳重なる抗議をなさしむることになつた。
問題となつたページは、漫画家ビル・グロツパーが書いたもので「諸君のアルバムにはないもの」との大見出しの下に「いつも同じ古くさい見出しにあきあきしてゐる画家から観たもつともあり得ない歴史的なる状態5題」との小見出しで、先づ南国探検のバード少将が熱帯南太平洋タヒチ島訪問の図をはじめ、強硬なる宗教拝斥論者ルイジアナ州知事ヒユーイ・ロング氏が修道院入りの図、資本家J・P・モルガン氏が資本主義撃滅の大衆演説をやる図、サウエート不承認をとなへて梃でも動かぬウイリアム・ハースト氏がサウエート大使として赴任するなどの漫画を傷つける不敬極まる絵画ならびに標題を掲載してゐるものである。
(東京朝日)