千歳船橋6人斬り

9月30日
朝7時ごろ市外北多摩郡千歳村船橋321の村会議員高橋滝蔵氏(54)、るい夫人(51)、長男和男ちゃん(9つ)、二女ひさちゃん(12)、三女さきちゃん(6つ)、長女妙子さん(22)ら6人が頭部顔面を日本刀のような兇器で滅多切りされてゐるのが発見され、主人の虫の息の中からの申し立てで、犯人は長女妙子さんの小学校友達である芹沢正治(22)と判明。動機は幼なじみの妙子さんに求婚し、拒絶されたのを恨んで一家皆殺しを企み、20日も短刀を懐中に納屋で寝こんでいるのを滝蔵氏に発見され、訓戒されたばかりであった。芹沢は前夜筍ベラで床下を掘り侵入、兇行に及び逃走中。病院に収容された高橋さん一家は、主人は危篤状態、他は危篤状態。

10月2日
逃走中の犯人芹沢正治が地面に刀で書いた遺書が、世田谷区世田谷5ノ2859岡庭弥平さん自宅納屋前で、次男八十八さんによつて発見された。その字体も先月30日朝犯行現場の地面に短刀で刻まれてゐた「秋の空澄み渡り僕の心は寂しかりけり」と全く同一であることも判明。遺書の全文は犯行前の先月27日から10月1日までの行動を日記風に書いたもので、以下のとほり。
「僕の出発したのは左の通り相違無之候。二十七日高橋方から奥四軒の所に寝た。二十八日六人斬りをやつてから大蔵の鈴木植木屋に宿をした。二十九日玉川見延山関東別院に泊る。三十日田園調布付近で一日を暮す。これから空巣、放火等をやりその上で身投げする」(注、犯行の日については犯人は思ひ違ひをしてをり、庭に字を書いてあつた岡庭は、被害者高橋妙子(22)の同級生の家)
(東京朝日)

10月3日
府下砧村の砧ゴルフリンク東北隅キャディー室裏手の物置で芹沢が縊死を企てているのを刑事に発見されたが、カンフル注射のかいもなく、絶命した。

ニュルンベルク法

3月16日
独、ベルサイユ条約軍備制限条項廃棄、徴兵制による再軍備宣言。

4月11日
英仏伊ストレーザ会議で独の再軍備非難。

5月19日
チェコ総選挙でズデーテン=ドイツ人党躍進。

6月18日
英独海軍協定調印、英海軍の35%の海軍力保有を承認。

9月15日
ユダヤ人の市民権剥奪、ユダヤ人との結婚を禁止するニュルンベルク法公布。

永井荷風『断腸亭日乗』より

九月六日。陰また晴。…中略…
当世風俗おぼえ書
一尾張町カッフェータイガ出来はじめの頃二、三年間酷暑の頃にても洋服上着を抜ぎシャツの腕をまくり上げて酒飲むのも甚(はなはだ)稀なり。紙屑巻煙草吸殻(すいがら)等を卓子(テーブル)の下に捨てるものも少かりき。昭和六、七年満州戦争始りし頃より風俗一般粗暴野卑となり男は街上にても暑き時は洋服上着を抜ぎて小脇にかかへ帽子(ぼうし)をかぶらず。竹葉亭銀座食堂など普通の飲食店に入りても煙草の吸殻を床に捨て空椅子を引寄せ泥靴のまま足を乗せる者もあり。三、四十歳までの男大抵は両手を振り上半身をゆり動かし肩で風を切つて歩くなり。学生も制服のままやはり同じやうな歩きつきをなす。男三、四人連立ちて歩行するさまを見るに多くは互に腰を抱き合ひまたは方へ手をかけ合ひ大声に談笑す。街上または飲食店にて知人に出遇ふ時西洋風に握手する者多し。握手の仕方紐育(ニューヨーク)陋巷(ろうこう)の無頼漢のなす様に似たり。これは活動写真より伝染せしものなるべし。
一女子の風俗を見るに夏は洋服が涼しいといひて五、六才より三十前後まで安洋服を着ざるものは殆どなし。四、五年前までは洋服にて下駄をはき物買ひに行く姿を見れば笑ふものありしが、今はこの奇風一般になりて怪しむものなし。十二、三の少女は家にゐる時は海水浴用の短衣一枚にて両腕両腿を露出し路端(みちばた)の腰掛に馬乗りに腰をかくるも誰一人怪しむものなし。
九月十日。南風烈しく時ゝ雨あり。…中略…銀座カッフェータイガ突然閉店。森永菓子店その後を買収りしといふ。
(永井荷風『断腸亭日乗』より)