【昭和14年】冥友録

1月12日 野田英夫(30)
洋画家。明治41年(1908)アメリカ合衆国カリフォルニア州サンタクララで在米日本人を両親として生まれる。幼少時を熊本の親せきのもとですごし、18歳で渡米、カリフォルニア美術学校卒業。昭和9年(1934)ホイットニー美術館ビエンナーレに出品、リベラより壁画の技法を学び、ニューヨークで全米政府事業壁画「移民」を制作。12年(1937)帰国後は新制作協会展に「サーカス」出品、都会風景のなかの生活のペーソスをただよわせた表現で将来を嘱望されたが急逝した。

1月28日 W・B・イェーツ(73)
南仏で客死。アイルランドの詩人、劇作家。1865年ダブリナ近郊に生まれる。89年物語詩『アシーンの放浪』で注目を集める。「アイルランド文芸協会」の創設に参加、アイルランド文芸復興運動の指導者として活躍。神秘的な幻想性、超自然的なものへの感応力にアイルランド特有のものがあるが、起状を抑えた象徴的な芝居作りには日本の能への共感がみられる。

2月4日 エドワード・サピア(55)
アメリカの言語学者、人類学者。1884年ドイツに生まれる。5歳の時渡米。ボアズの影響でゲルマン語研究から人類学と言語学研究に転じ、インド・ヨーロッパ語とは構造的に異なるアメリカ・インディアン諸語とその文化の研究がアメリカの言語学に寄与したものは大きく「言語相対主義」として有名な「サビア=ウォーフの仮設」もそこから出発した。

2月18日 岡本かの子(51)
脳充血のため東京青山の自宅で。小説家、歌人。明治22年(1889)東京・二子玉川の旧家に生まれる。後の漫画家岡本一平と結婚、蛾か岡本太郎を生む。『わが最終歌集』発行後渡欧、帰国後芥川をモデルとした小説『鶴は病みき』でデビュー。代表作は『老妓抄』『生々流転』など。小説家としては3・4年の命だったが、その間に長編短編を爆発的な勢いで書きつぎ、近代文学に豊かで太い女流文学の流れを刻みこんだ。
○年々にわが悲しみは深くしていよゝ華やぐ命なりけり

3月1日 岡本綺堂(68)
劇作家、小説家。明治5年(1872)東京芝高輪生まれ。新聞記者生活のかたわら劇作を執筆。41年(1908)『維新前後』が当たり、左団次・綺堂コンビが生まれ、以後『修禅寺物語』『鳥辺山心中』番町皿屋敷』など新歌舞伎の代表的作品を多く書く。また大正5年(1916)ごろより江戸時代に関する博識をもとに『半七捕物帳』を執筆、味わい深い歴史物、世話物の小説も多い。

3月28日 田中光顕(97)
静岡県蒲原町の別荘で肺炎のため。政治家。天保14年(1843)土佐藩士の長男に生まれる。幕末、武市瑞山に師事して土佐勤王党に属す。西南の役では征討軍会計部長をつとめ、役後陸軍に入隊、少将で引退。明治22年(1889)警視総監になり、宮中顧問官兼帝室会計審査局長、学習院長、宮内次官を経て31年宮内相に就任。40年(1907)伯爵となり、42年(1909)本願寺武庫別荘買い上げをめぐる収賄を疑われ宮内相辞任、以来隠退。

3月29日 立原道造(25)
喀血。詩人。東京市日本橋生まれ。帝大建築学科入学。堀辰雄、三好達治に詩才を認められ第二次「四季」同人となる。『萱草(わすれぐさ)に寄す』『暁と夕の詩』。昭和10年代の叙情詩人を代表するひとり。信州追分の地を愛した。死の前第1回中原中也賞受賞。

6月9日 明石海人(不明)
腸結核。歌人。明治34年(1901)ごろ静岡生まれ。画家をこころざしたが、昭和初年ハンセン病を発病。瀬戸内海の長島愛生園に入り生涯をおくる。「新万葉集」に病中詠11首入選、死の前詩集『白描』刊行。
○眼も鼻も潰(つひ)え失せたる身の果にしみつきて鳴くはなにの蟲ぞも

7月9日 戸川秋骨(69)
急性腎臓炎のため慶応病院で。評論家、英文学者。熊本県生まれ。明治学院で藤村、馬場狐蝶らと同級。「文学界」創刊に参加。『エマーソン論文集』の翻訳など。

7月14日 アルフォンス・ミュシャ(79)
プラハで死去。チェコスロバキアの画家、装飾美術家。1860年モラビアに生まれる。ウィーン、ミュンヘン、次いでパリで絵を学ぶ。女優サラ・ベルナールの芝居のポスターを手掛け、流麗な線と洗練された色調による装飾的女性像でアール・ヌーボー様式を代表する1人となる。ロートレックと共にグラフィック・デザインの先駆けとも言うべき多色石版によるポスターの第一人者。

8月21日 渡辺直己(32)
天津にて戦死。歌人。明治41年広島県呉市生まれ。土屋文明に師事。中国大陸戦線に従軍。戦死の翌年郷里の友人らの手で遺稿『渡辺直己歌集』が非売品として観光され唯一の歌集となった。大半は前線詠だが、戦争賛歌が圧倒的な時代状況で、敵味方の無名の兵士らにそそがれるまなざしは人間的苦渋にみちている。
○壕(がう)の中に坐(ざ)せしめて撃ちし朱占匪(しゅせんひ)は 哀願もせず眼をあきしまま

9月7日 泉鏡花(67)
肺腫瘍のため麹町区6番町の自宅で。小説家。明治6年(1873)石川県金沢生まれ。23年(1890)上京、尾崎紅葉の内弟子となる。28年(1895)社会的矛盾を描く観念小説「夜行巡査」「外科室」などで文壇に登場。『照葉狂言』『高野聖』で浪漫主義的な本質をしだいにあらわし、以後時流に関係なく、浪漫的資質に忠実な『婦系図』『歌行燈』など独自の美しい文体をもつ傑作を数多く残した。36年(1903)神楽坂の迎車伊藤すずを落籍、紅葉の叱責により一時別れるが、紅葉死後結婚、このことは『婦系図』に反映。

9月23日 ジクムント・フロイト(83)
亡命先のロンドンで客死。精神分析学者。モラビアのドイツ系ユダヤ人の家に生まれ、幼い時ウィーンに居住する。精神娼の研究からリビドー理論を展開。深層心理学としての「精神分析学」を創始する。「無意識」を重視するその理論は今世紀の思想、科学、芸術等に圧倒的な影響を及ぼした。後期にはリビドーを含む「生の本能」のほかに無機物へ帰ろうとする有機体の「死の本能」を認めるにいたっている。

11月11日 村上華岳(52)
日本画家。明治21年(1888)大阪生まれ。京都市立絵画専門学校在学中より文展入選。大正5年(1916)文展出品の「阿弥陀三尊」が特選となり、以後仏画を多くかく。7年(1918)土田麦僊らと国画創作協会結成。「聖者の死」などが大きな反響をよび、独自の画風による個性的な作品を発表したが、しだいに国画会を離れ、昭和2年(1927)神戸花隅の旧居に転居。画壇との接触も絶ち求道的な生活のうちに六甲山や仏像の絵画制作。

【昭和14年】流行

複雑怪奇

ヤミ

白紙(しらかみ)=国民徴用令の公布により国民を軍需工場などに召集する令状

相親和

国民服

日の丸弁当

学生の長髪禁止

ヤミ製品・禁製品横行

*赤マント=赤いマントの男が東京を徘徊し無垢の血を求めて通行人に傷をつける、という噂が、小学生から広がり大流言に。

【昭和14年】雑誌

1月15日
新橋―渋谷間地下鉄開通。

2月9日
東京帝大理学部に人類学科開設。

2月15日
早大本科女子学生入学許可。

2月
沖縄癪予防協会設立。

3月22日
大日本相撲協会夏場所から相撲期間の13日から15日間へ延長発表。

3月26日
登用レーヨン、ナイロン66の合成に成功。

3月31日
名古屋帝大設置。名古屋医大を医学部に、翌年4月理学部開設。

4月1日
内閣に中央航空研究所設置。

4月1日
愛馬の日、制定。

4月30日
ニューヨーク万博〝明日の世界〟テーマにクイーンズのフラッシングメドウで開幕。(→15年4月)

5月22日
結核予防会設立。

5月
美術文化協会創立。独立美術協会から脱けたシュールレアリスト福沢一郎を中心として結成されたが、戦中に抑圧され自然消滅。

6月6日
法隆寺壁画保存委設置、壁画模写始まる。

7月4日
米大リーグの鉄人ルー・ゲーリッグ神経疾患で引退。

*電気ストーブ製造中止。

*ニューヨーク・コロンビア大学でエンリコ・フェルミとレオ・シラードら自動的カック分裂の可能性を証明。これに基づきアインシュタインがルーズベルト大統領にウランが重要エネルギー源となり爆弾の製造に結びつくことを示唆する手紙を書き、秋に大統領はウランに関する諮問委設置。

【昭和14年】ラジオ

1月
聴取契約数400万突破。

5月13日
放送協会は日本放送会館(内幸町)から放送開始。放送会館は総工費450万円、地下1階、地上5階、屋上には約50メートルの放送用アンテナ。

*前年暮れから聴取者増加をはかるため「特集演芸週間」を設け、長唄、落語、歌謡曲、浪曲を放送。

【昭和14年】文・学

*新聞・雑誌整理統合の国策により廃刊届500件を超す。

*高見順「如何なる星の下に」(「文芸」)/太宰治「富獄百景」(「文体」)/中野重治「歌のわかれ」(「革新」)/岡本かの子「生々流転」(「文学界」)/釈迢空「死者の書」(「日本評論」)/菊池寛「心の王冠」(「少女倶楽部」絵・富永謙太郎)

*谷崎潤一郎訳『源氏物語』/明石海人『白描』/小野十三郎『大阪』/川端茅舎『華厳』/村野四郎『体操詩集』/三木清『新日本の思想原理』/羽仁五郎『ミケルアンヂェロ』/大川周明『日本二千六百年史』/柳田国男『国語の将来』/アインシュアイン、インフェルト『物理学はいかに創られたか』/徳富蘇峰『昭和国民読本』/タウト『日本美の再発見』/海野十三『海底大陸』(絵・飯塚羚児)

*『アジア問題講座』『デカルト選集』『孫文全集』「新独逸国家大系』「教養文庫」(弘文堂)刊行開始。

*「東洋経済統計月報」創刊。

*ベストセラー
火野葦平『花と兵隊』/ホクベン『百万人の数学』

*芥川賞
寒山光太郎「密猟者」

【昭和14年】映画

1月
南旺映画株式会社創立(政友会代議士・岩瀬亮が財閥の森矗永の資本をバックに設立)。

6月
日本映画人連盟結成、国策遂行に協力。

11月1日
満映第二代理事長に甘粕正彦氏。以後弘報処検閲を排しし、満映の自主判断で企画制作。監督に内田吐夢、鈴木重吉、加藤泰を登用、共産党大森ギャング事件で10年の刑期を終えてきた大塚有章を使うなど浪人を受容。満州工音、満州音盤配給、満州雑誌社等を設立、北京に華北電影(12・21)、上海に中華電影(副理事長・川喜多長政)も設立(7・1)。

12月
映画法による外国映画輸入統制が具体化、昭和15年度輸入申請482本のうち、120本だけ許可された。

 

土 日活
監督:内田吐夢
主演:小杉勇、山本嘉一、風見章子

土と兵隊 日活
監督:田坂具隆
主演:小杉勇、井染四郎

海援隊 日活
監督:辻吉郎
主演:嵐寛寿郎、月形竜之介

子供の四季 松竹
監督:清水宏
主演:早山正雄、爆弾小僧

兄とその妹 松竹
監督:島津保次郎
主演:佐分利信、桑野通子

暖流 松竹
監督:吉村公三郎
主演:佐分利信、高峰三枝子

残菊物語 松竹
監督:溝口健二
主演:花柳章太郎、森赫子、河原崎権十郎、梅村蓉子

白蘭の歌 東宝
監督:渡辺邦男
主演:長谷川一夫、李香蘭

純情二重奏 松竹
監督:佐々木康
主演:高峰三枝子、木暮実千代、霧島昇

望郷 仏
監督:ジュリアン・デュヴィヴィエ
主演:ジャン・ギャバン、ミレーユ・バラン

格子なき牢獄 仏
監督:レオニード・モギイ
主演:コリンヌ・リュシエール

ブルグ劇場 独
監督:ヴィリ。フォルスト
主演:ミッテル・ヴルツァ

わが家の楽園 米
監督:フランク・キャプラ
主演:ジーン・アーサー、J・スチュアート

青髯八人目の妻 米
監督:エルンスト・ルビッチ
主演:ゲーリー・クーパー、C・コルベール

ハリケーン 米
監督:ジョン・フォード
主演:ジョン・ホール、ドロシー・ラムーア

地球を駆ける男 米
監督:ジャック・コンウェイ
主演:クラーク・ゲーブル、マーナ・ロイ

【昭和14年】舞台

1月6日
麗人剣劇の大江美智子は神戸新開地松竹劇場に出演中、幕が下りるや倒れ、急性盲腸炎で死亡。宝塚少女歌劇出身。

2月
文芸座の新しい二枚目森雅之と可憐型女優堀越節子が「蒼海亭」でマリウスとファニーを演ずるが、2人は近く結婚することになった。

4月
3月に新設された新興キネマ演劇部の引き抜きで、吉本系の玉松一郎、ミス・ワカナ、ラッキー、センブンをはじめ、落語の金語楼、文楽、金馬、講談の貞山、浪曲の勝太郎の外リーガル千太・万吉、ミス・ワカバ、アサヒまで移籍したが、ドル箱あきれた・ぼういずも新興の手に落ちた。

4月28日
藤原歌劇団「カルメン」で始めて歌舞伎座で公演。

6月10日
宝塚を去る葦原邦子と大空ひろみのために、10日から15日間宝塚中劇場で盛大な引退披露公演が行われる。

11月22日
築地小劇場新装落成式。

*オール新派が分裂し、花柳章太郎、柳永二郎、大矢市次郎、伊志井寛が平等権利で第二次新生新派を樹立。女形システム下で歎をかこっていた立役を生かす新派へ。

【昭和14年】歌

「上海ブルース」
歌:ディック・ミネ

「愛馬進軍歌」(陸軍省選定)

「一杯のコーヒーから」

「大利根月夜」
歌:田端義夫

「長崎物語」

「父よあなたは強かった」

「兵隊さんよありがとう」

「国境の春」
歌:岡晴夫

「旅姿三人男」
歌:ディック・ミネ

「九段の母」

「あの子はだあれ」

「熱海ブルース」

「上海の花売娘」
歌:岡晴夫

「港シャンソン」

「おさるのかごや」

「ないしょ話」

「汽車ぽっぽ」