永井荷風『断腸亭日乗』より

四月十八日。日頃書きつづりしものを整理し表紙をつけて冊子となす。これがために半日を費したり。晡下(ほか)芝口の金兵衛に至り初めてこの日午後戦国の飛行機来たり弾丸を投下せし事を知りぬ。火災の起りしところ早稲田下目黒三河嶋(みかわしま)浅草田中町辺なりといふ。歌舞伎座昼間より休業、浅草興業物は夕方6時頃にて打出し夜は休業したりといふ。新聞号外は出ず。
(永井荷風『断腸亭日乗』より)

東京初空襲

東京爆撃司令官ドーリットル中佐が率いる16機をのせた空母ホーネットを中心とする第18機動部隊と空母エンタープライズを旗艦とする第16機動部隊が、東京に向かっているのを日本軍が発見。米軍は日本軍の迎撃態勢が整わないうちに急きょ、東京空襲の実行を決定。

午前8時30分
東京に警戒警報発令。

午後0時29分
空襲警報発令。

午後0時30分
東京、京浜地方には13機が空襲、大井、蒲田、品川、早稲田、尾久、淀橋、川崎、横須賀などで被弾、被害を受けたが、被害は以降のものに比べて軽微で、市民の戦意高揚に役立った。
「東京・荒川区尾久町では、荒川岸の旭電化の工場周辺に焼夷弾が落とされたが、空襲を知らない子どもたちは、飛来した飛行機が、低空から黒いものをつづいて落としたので、飛行機上よりまいたビラかと思い、ひろおうとして、われがちに落下するほうへかけていって焼夷弾の直撃に当って数名が死んだ。自分の家も、爆風で、片側のガラスが全部くだけた」(当時の被爆者・吉田兵衛談)。
名古屋へ2機、神戸へ1機が現れ銃爆撃。空襲を終えた爆撃機はいずれも東シナ海から中国の米軍基地に着陸したが、1機が日本軍占領地に不時着。

山本五十六連合艦隊司令長官は、この奇襲に衝撃を受け、持論のアリューシャンからミッドウェーを結ぶ南北線上で敵機動部隊を撃滅する作戦を強く主張、この作戦が優先される。

コレヒドール要塞占領

4月14日
コレヒドール要塞へ総攻撃。

5月5日
敵前上陸敢行。

5月6日
ウェンライト中将は降伏を申し入れ、本間雅晴・ウェンライト会談が不調に終わる。戦闘再開。

5月7日
コレヒドール島完全攻略。ウェンライト中将は比島の全米比軍の無条件降伏を申し入れた。

バターン「死の行進」

1月末
マニラからバターン半島に撤退した米比軍への攻撃で、恒広大隊が敵に包囲され、救援に向かった大隊も潰滅して、大きな打撃を受ける(バターン半島はジャングル地帯で、米軍は15年前から一般人の出入りを禁止し、半永久的な陣地を構築していた)。

2月10日
本間雅春司令官は、犠牲が大きいので戦力増強をはかりたい、と報告。日本軍は増援部隊を派遣し、3月末以降の第2期作戦計画を策定。

3月17日
マッカーサー司令官はケソン大統領とコレヒドール島からミンダナオ島をへてオーストラリアに脱出。オーストラリアでの第一声が「アイ・シャル・リターン」であった。

4月3日
第2期作戦計画開始。

4月8日
日本軍総攻撃開始。

4月9日
バターン半島攻略。

4月10日〔リスボン特電12日発〕
米国政府は10日「バターンの戦闘は終熄した。しかしコレヒドール島の抵抗は依然に継続されるであろう」と公表した。

4月11日【大本営発表(13日午後4時20分)】
比島方面帝国陸軍部隊は堅固なる要塞に拠れる米比軍主力を撃滅し、4月11日バターン半島を完全に攻略せり。

フィリピン占領後、日本軍は、飢餓状態にあり、無力なアメリカ人捕虜3万5,000人(米兵は1万2,000人)を収容所まで85マイルの長距離の大半を歩かせ、日本兵の虐待と熱病と疲労のため、「証拠によれば、その死亡数は8,000人であったことが示されている」(東京裁判判決)。戦後、「バターン死の行進」と有名になる。さらに収容所では「1942年4月から12月までに2万7,500人以上のアメリカ人とフィリピン人が死亡したことが証拠によって示されている」(東京裁判判決)。

翼賛選挙

4月4日
第21回衆議院議員総選挙公布。今次総選挙は政府の提唱した翼賛選挙徹底運動の枢軸として、最適人材推薦の気運譲成により民間の工夫と創意を動員した候補者推薦制度採用となり、翼賛政治体制協議会が議員定数と同数の466名の推薦候補者を銓衝した。

4月10日
翼賛選挙運動が開始され、翼賛政治体制協議会会長阿部信行大将は、日比谷で行われた推薦候補応援演説会において、新翼協が新政治力の結成を目標として選挙運動を行いつつあること、新議会はかかる新政治力によって協力体形に編成替えされるべきであるとの指導方針を明確にした。

4月30日
総選挙の結果、立候補1,079人のうち、翼賛政治体制協議会推薦当選者381人、当選者466人(うち新人198人、前248人、元20人)、非推薦者当選85人(うち新人29人)、と推薦候補の圧倒的勝利に帰した。主な当選者は、中村梅吉(東京・推翼新)、鳩山一郎(東京・前)、河野密(東京・前)、赤尾敏(東京・建新)、河野一郎(神奈川・興前)、赤城宗徳(茨城・推元)、中村知久平(群馬・推翼前)、蠟山政道(群馬・推新)、平野力三(山梨・興前)、笹川良一(大阪・国新)、田中伊三次(京都・新)、原惣兵衛(兵庫・推翼前)、斎藤隆夫(兵庫・元)、堤康二郎(滋賀・推翼前)、尾崎行雄(三重・前)、松村謙三(富山・推翼前)、中野正剛(福岡・東元)、松本治一郎(福岡・推翼前)。
なお、児玉誉士夫(東京・国新)も立候補していたが、落選した。
この翼賛選挙で政府は推薦候補の選挙費用に臨時軍事費を流用、候補者は戦争完遂を主張し、政府の政策を全面的に支持した。他方非推薦候補は「国賊」と呼ばれ厳しい圧力が加えられた。隣組などを通じて有権者を動員したため、投票率は全国平均83パーセントを超した。
*推=翼協推薦、所属別に関しては翼=翼賛議員同盟、興=興亜議員同盟、東=東方会、国=国粋大衆党、建=建国会