【昭和23年】冥友録

1月19日 出口王仁三郎(77)
脳出血のため。明治4年(1871)京都生まれ。農業、運搬業等の職を経て京都皇典講究所に学び建勲神社に奉職。31年(1898)出口なおと出会い、32年(1899)金明霊学会を創設、教祖がなおで会長になった。33年(1900)なおの五女すみと結婚。41年(1908)、幹部と対立し一時教団を離れていた後、戻り大日本教斎会(大本教)と名を改めた。大正10年(1921)不敬罪で第一次大本教弾圧、昭和10年(1935)の第二次弾圧では教団が完全に禁圧された。敗戦により愛善苑の名で教団を再建。

2月11日 セルゲイ・ミハイロヴィチ・エイゼンシュテイン(50)
ソビエトの映画監督、映画理論家。1898年リガに生まれる。土木建築を専攻するが、1917年十月革命の折赤軍に志願。復員後革命への意欲を演劇に向けるが、新しい時代に見合った新しい表現を求め24年映画に転じた。翌年早くも映画史上不朽の名作「戦艦ポチョムキン」を手掛ける。理論家としても優れその「モンタージュ理論」は有名。晩年の傑作に「イワン雷帝」がある。

3月4日 アントナン・アルトー(51)
フランスの詩人、演劇人。幼い時脳膜炎をわずらい周期的に激痛に悩まされる。詩作から演劇に転じ、31年バリ島演劇に啓示を受け「残酷演劇」を構想。36年メキシコ旅行。翌年精神病院に収容されるが創作活動は続けた。その演劇理論は38年の「演劇とその分身」に結実。心理を重視し台詞を特権化した従来の演劇が排除した身体的な表現の回復を求め、50年代以後の演劇に決定的な影響。

3月6日 菊池寛(61)
豊島区雑司ヶ谷の自宅で狭心症のため。小説家、劇作家。明治21年(1888)香川県高松生まれ。一高在学中芥川龍之介。久米正雄と知り、大正5年(1916)第4次「新思潮」創刊、戯曲「屋上の狂人」「父帰る」などを発表。その後小説『恩讐の彼方に』などで一躍流行作家となり、9年(1920)新聞連載の「真珠夫人」が大評判となり、通俗小説に進む。12年(1923)「文芸春秋」を創刊、出版界の大御所となる。戦中は国家協力に奔走、戦後戦争協力者として公職追放にもなった。死後菊池寛賞設立。

3月14日 千家元麿(61)
豊島区長崎の自宅で気管支肺炎と心臓麻痺のため。詩人。明治21年(1888)男爵千賀尊福の庶子として東京麹町に生まれ、複雑な少年期を送る。短気を窪田空穂に、俳句を佐藤紅緑に、詩を河井酔茗に学ぶ。大正初年(1912)ごろより武者小路実篤と親交を結び、「白樺」などに詩作を発表。7年(1918)詩集『自分は見た』を刊行。昭和4年精神に異常をきたし入院、以後は自宅に蟄居。貧窮生活の中、長男の戦死、妻の死と不遇な晩年をすごしたが、平易な口語によるヒューマニスティックな光にあふれた多くの詩集を刊行。

3月25日 真山青果(71)
疎開先の沼津で病気療養中に。小説家、劇作家。明治11年(1878)仙台生まれ。医学部中退後、放浪生活ののち、佐藤紅緑・小倉風葉門下となる。40年(1907)「南小泉村」で自然主義の新進作家として注目され、小説・戯曲を次々に発表するが、現行の二重売り事件により44年文壇を退く。大正3年(1914)松竹入社、新派の劇作家として再起し、「玄朴と長英」「平将門」「元禄忠臣蔵」など歴史物に才能を開花させた。西鶴研究科としてすぐれた業績。

4月20日 米内光政(68)
目黒区富士見台の自宅で脳溢血に肺炎を併発して。昭和5年(1930)ロンドン軍縮条約以後は「艦隊派」を抑える積極的役割を果たす。同15年(1940)阿部内閣の後を継ぎ首相就任となったが日独伊三国同盟問題で推進派の陸軍の横ヤリで退陣、日米開戦には反対、同19年(1944)7月小磯大将と協力、内閣を組織し海相に再任、以来20年(1945)12月幣原内閣のとき海軍省解散のため退官するまで敗戦前夜4代にわたり海相を歴任。

5月13日 エドワード・フラナガン神父(62)
1886年アイルランド生まれ。「少年の町」の創立者。ドイツ視察旅行で、ベルリン・ハルナック・ハウスの夕食会に出席中、卒倒し米陸軍病院に運ばれたが心臓麻痺で死去。

5月23日 美濃部達吉(76)
武蔵野市吉祥寺の自宅にて尿毒症のため。憲法学者。明治6年兵庫県生まれ。東大卒。明治32年(1899)東大教授、比較法制史)のち憲法)を短刀。大正元年(1912)『憲法講話』を著し、天皇機関説を唱える。昭和7年(1932)名誉教授、勅選貴族院議員となる。戦後の憲法改正では絹布問題調査会に顧問として参加、21年(1946)枢密院顧問官として日本憲法の創案審議にたずさわった。

5月25日 ジャック・フェデー(63)
仏映画監督。「カルメン」「テレーズ・ラカン」「外人部隊」「ミモザ館」「女だけの都」「鎧なき騎士」ほか。

6月6日 ルイ・リュミエール(83)
バンドールで死去。フランスの科学者、実業家。1864年ブザンソンに生まれる。父は写真家。80年兄と共にリヨンに工場を建て写真材料等を製作。94年エジソンのキネトスコープに想を得て「シネマトグラフ」を発明した。翌年世界最初の映画を撮影し興行。

6月9日 入江波光(62)
京都市御前通の自宅にて。画家。明治20年(1887)京都生まれ。本名幾次郎。京都市絵画専門学校卒業後、大正7年(1918)絵画専門学校助教授となり、同年「降魔」により国画賞受賞。同11年(1922)京都市からの派遣でイタリアに遊び強い感銘を受ける。昭和15年(1940)法隆寺壁画の模写を委嘱され、晩年はこの仕事に情熱を傾けた。

6月10日 松本竣介(36)
肺炎のため下落合の自宅で。洋画家。明治45年東京生まれ。大正3年(1914)一家で岩手県に移る。中学時代病気のため聴覚を失い中退。昭和4年(1929)上京し、太平洋画会研究所に学び、10年(1935)より二科会に出品、15年(1940)「都会」が特待賞を受賞。翌年雑誌「みづゑ」に座談会「国防国家と美術」への反論「生きてゐる画家」を発表。18年(1943)靉光らと新人画会を結成、良心的な仕事を続けた。戦後は自由美術家協会に参加したが、翌年没した。

6月13日 太宰治(40)
小説家。明治42年(1909)青森県津軽生まれ。東大入学後非合法運動に関わり中退、のち転向。昭和8年(1933)「思ひ出」などで注目され、伊伏鱒二、檀一雄らと交流。10年(1935)日本浪漫派に参加。自殺未遂、麻薬中毒などデカダンな生活が続くが、戦中は「富獄百景」「お伽草紙」「津軽」などの名作を残す。戦後は「斜陽」「人間失格」などを次々に発表。無頼派の流行作家として多忙をきわめ、麻薬中毒が再発、過労と飲酒のすえ、未完の「グッド・バイ」を遺作として自殺した。

7月21日 アーシル・ゴーキー(44)
交通事故、病気、火災等の不幸が重なりコネチカット州シャーマンで自殺。アメリカの画家。1905年アルメニアに生まれる。1920年アメリカに亡命。模索の時期を経て30年代ミロヤカルダーの作品からシューレルレアリスムに接近すると共にカンジンスキーの抽象絵画にも傾倒。40年ごろ有機的な自然の形態を組み合わせ心的情景を表現した独自の画風を確立。抽象表現主義の先駆者。

7月23日 D・W・グリフィス(73)米映画監督。主な作品は「国民の創生」「散り行く花」「東への道」「素晴らしき哉人生」「世界の英雄」ほか。

8月16日 ベーブ・ルース(53)
米国メモリアル病院にてガンのため。米野球選手。1895年生まれ。ニューヨーク・ヤンキース、ボストン・ブレーブスの外野手で活躍。1927年、年間60本塁打の大記録を樹立。プロ生活を通じて本塁打王12回、本塁打数714、打点2,209、打率3割4分2厘の記録を残す。

9月12日 二村貞一(49)
国分寺病院で死去。日本のジャズの草分けで、4月エノケン一座に復帰し有楽座の「らくだの馬さん」が最後の舞台。

10月6日 中村利雄(48)
大仏次郎「帰郷」のさし絵を病気のため途中で中断した。洋画家。明治33年東京生まれ。水彩画家真野紀太郎の指導をうけ、大正9年(1920)ごろより日本水彩画会仮研究所に学ぶ。東京美術学校西洋画科に入学するが、専ら水彩画(中西によれば水絵)の研究に励み、第5回帝展入選。昭和3年(1928)渡欧、不透明水彩に習熟し、独自のスタイルを身につける。帰国後は帝展で特選を受けるなど、水彩画の近代的革新者として指導的役割をになった。

10月11日 岡本一平(63)
岐阜県加茂郡古井町下古井の疎開先で入浴中脳溢血で死去。岐阜県生まれ、東京美術学校卒業後、朝日新聞客員となり、軽妙洒脱な漫画と短文で活躍、多くの漫画家を育てる。岡本太郎氏は妻岡本かの子との一子。

11月4日 福原信三(66)
脳溢血。資生堂会長、日本写真会会長。写真集『光と其諧調』。

【昭和23年】雑事

2月16日
内閣、当用漢字別表として義務教育漢字881字発表。

3月1日
都、東京消防本部設置。

5月1日
東京消防庁となる。

3月
日本デザイナークラブ結成。

4月
西本願寺職員組合結成。

5月1日
上野水上動物園新設。

6月1日
東京急行電鉄、小田急・京王・京浜急行3社を分離。

6月21日
極東委員会は日本人技術者の海外渡航を許可。

7月
吉富制約が癩治療剤プロトミン発売。

8月15日
渋谷駅前に「忠犬ハチ公」銅像再建。

8月
礼文島船泊中学の郷土史研究班員が兵頭節夫教官と、海岸の貝塚を発掘して〝モヨロ人〟の頭蓋骨を発見。

9月11日
札幌発の国営競馬開催。

9月23日
上野動物園におサルの電車開通。

9月23日
本多技研工業設立(本田宗一郎社長)。

10月1日
初の新聞週間。

10月1日
警視庁に110番設置(米軍の勧め)。

11月20日
初の競輪、小倉市で開催。

12月20日
国立国語研究所設置。

*「命売ります」の青年現る。

*50本のカン入り(300円)と大箱入りピース発売。

*占領軍は電気洗濯機の納入打ち切りを通告(日本人メードを傭ったほうがはるかに安かったため)。メーカーは国内に販売ルートを求める。

*ブラッテン、バーディーン、ショックレー(米)がトランジスタを発明。

*バークホルダー(米)らクロロマイセチンを発見。

【昭和23年】生活

5月1日
小平霊園完成。

5月1日
財団法人日本学童給食協会が誕生、学校給食にすべて専門の調理師、栄養士を従事させ、学童の偏食と不満を是正、衛生知識の普及と理科の実際教育も行う。発足にあたってはまず港区2万の学童に給食を実施する。(東京)

5月12日
厚生省「母子手帖」配布開始。

5月
銀座某果物店の店頭に飾るバナナ、値段は100匁300円。

6月
絆創膏のニチバンがセロテープ売り出す。

7月
米軍放出物資で約1,000戸の都営集団住宅建設を決定。

9月20日
衣裳研究所「美しい暮しの手帖」を創刊。「色彩」佐多稲子、「小もの入れ」草加やす子(花森安治の変名)、「足袋(小説)」川端康成、「住食住小記」土岐善麿など。

11月21日
都、米軍放出住宅をクジで住宅貸与。

*長崎で始まったスクエアダンスの全国的講習会(文部省)開く。

*天然ゴム製の〝バストパット〟(ワコール)が登場し流行、ブラジャーが普及しはじめる。

*女医で21年最初の婦人代議士の1人となった竹内茂代が頭髪を切って陰部に移植する無毛症手術に取り組む。

*燃料不足で粗悪な電熱器が出回り、停電の頻発や電気事故の原因となった。このため、照明学会内に小型電熱器能率改善委員会が設けられ、安全規格を発表、推奨した。

*ミキサー発売。

*玉が入ると景品が10個出る「オール10」というパチンコ台登場。

【昭和23年】流行

冷たい戦争

斜陽族

五せる
(役員を懐柔するには、食わせる、飲ませる、握らせる、抱かせる、威張らせる)

てんやわんや

ノルマ

主婦連

110番

おかま

老いらくの恋

強権発動

グッド・バイ

来なかったのは軍艦だけ
(東宝の首切り反対ストに対し、会社側は武装警官を導入、戦車も飛行機も出動した)

十三階段
(絞首台の階段の段数)

アロハ・シャツ

踊る宗教

【昭和23年】スポーツ

1月10日
週刊「スポーツ毎日」(タブロイド型8ページ・5円)発刊。スポーツ日刊紙が増え、週刊では太刀打ちできなくなり、昭和30年(1955)1月に休刊。

3月24日
午後1時から後楽園球場で選抜都市対抗野球優勝戦に先立ち女子チーム、オハイオ(横浜)対メリーゴールド(東京)の試合が行われ、9対0(3回戦で打ち切り)でオハイオチームが圧勝。商品は皆公平に化粧品。

4月1日
全国選抜中等学校野球大会は、学制改革でセンバツ高校野球と改称される。夏の大会も同様。

5月2日
第1回全日本柔道選手権大会(講道館)。

6月10日
大下弘選手が竹製バットを使用し、罰金を科せられる。

8月13日
全国高校野球選手権で小倉高が2連覇。福島一雄投手は結晶までの5試合完封。戦前の嶋清一(海草中)の記録と並ぶ。

8月17日
進駐軍に接収下の横浜ゲーリッグ球場で、日本のプロ野球初のナイター(巨人―中日)が行われ、ベーブ・ルースの死が報じられ試合前に全員黙とう。

10月25日
大相撲秋場所は横綱羽黒山休場、同照国途中休場の内に前場所優勝の大関東富士と関脇増位山が10勝1敗で同点決勝、増位山が優勝し、翌日の新番付会議で東富士を四十代横綱に、増位山を大関に昇進させた。東富士は史上初の東京出身横綱。

11月4日
神宮球場で行われた巨人軍創立15周年記念試合で、超満員のファンの入場の列が崩れたため少年2人死亡、26人重傷者が出る。

11月
この年、壮絶な打棒を競い合った巨人軍の青田と川上だが、青田昇が首位打者(3割6厘)と本塁打王を獲得、川上哲治も同数の25本で本塁打王(大下の持つ年間20本の記録を破る)。優勝は南海。2位が巨人、3位は阪神。MVPは山本(鶴岡)一人(南)、沢村賞は中尾碵志(巨)。

【昭和23年】舞台

1月2日
民芸第1回公演、島村藤村原作・杉山知義演出「破戒」(有楽座)。

1月21日
ツクシ座「鐘の鳴る丘」(菊田一夫作・日劇小劇場)初演。

3月3日
劇団新風俗発足、ヘレン滝・福田はるみヌード初出演(常盤座)。

3月8日
新橋演舞場再建開場。

5月19日
文楽座座員80人余、労組結成し日映演大阪支部加入。

7月3日
勤労者演劇協同組合=労演結成(勤労者の共同鑑賞組織)。

10月2日
新国劇「どぶろくの辰」上演(有楽座)。

12月1日
曾我廼家十吾・五郎八・明蝶・渋谷天外・藤山寛美ら松竹新喜劇結成。

*杉山春子に初の芸術院賞。

【昭和23年】美術

1月26日
創作美術結成、発会式(山本丘人・吉岡堅二・福田豊四郎・上村松篁・向井久万ら東京・京都の日本画家)。

1月
「美術手帖」創刊。

4月1日
日本美術史綜合展(東京博物館)。

5月
杉山吉良「裸体群像」写真展(銀座松坂屋)。

8月14日
第1回全日本書道展(毎日新聞社主催・都美)。

9月18日
木村伊兵衛・渡辺義雄・土門拳ら日本写真家集団結成。

9月18日
芸術院主催で開催と決まった第4回「日展」に反対する芸術院会員のなかで、梅原龍三郎氏は文部省宛に正式に芸術院会員の辞表と審査員辞退の書簡。

10月11日
荻須高徳渡仏(画家として戦後最初)。

10月20日
第4回日展(都美)。戦後発足した日本美術会は、民主的に選出された美術家の委員会に日展改革をゆだねることを文部省に要求していたが、この年の日展は芸術院主催、無鑑査制復活と逆もどり。国画会、二科会など洋画7団体が不参加を表明、工芸作家にも不出品の動き。

*西独で、週刊グラフ誌「Der Sterm」(シュテルン)創刊。

*林忠彦が「小説新潮」に文士ポートレートを連載始める(1月号~28年(1953)12月号)。この中で酒場「ルパン」の椅子に座る太宰治や原稿紙に埋まる坂口安吾などの名作発表。

*「毎日グラフ」創刊。『アルス写真年鑑』1948年版から復刊。『新聞写真年鑑』刊行。

*写真撮影叢書第三集『クローズ・アップ』に土門拳「肉体に関する八章」を発表。

*入江泰吉「仏像」写真展(東京・日本橋三越)。

【昭和23年】文・学

2月
「世界」座談会「唯物史観と主体性」(清水幾太郎、松村一人、林健太郎、古在由重、丸山真男、真下信一、宮城音弥)。

3月
文筆家270名追放。

5月8日
日本比較文学界創立総会(中島健蔵ら)。

5月31日
国際ペンクラブ、日本ペンクラブの復帰承認。

8月21日
初の日本芸術院授賞式(伊東深水・折口信夫・藤原義江・杉村春子・芝裕泰・野口兼資)。

8月
「前衛」特集<近代主義批判>(蔵原惟人ら)。

11月4日
ノーベル文学賞が英国の詩人、劇作家T・S・エリオットに授与。代表作は詩集『荒地』戯曲「教会堂の殺人」。

12月
「序曲」創刊(野間宏、三島由紀夫、武田泰淳、野村真一郎、埴谷雄高、梅崎春生ら戦後派作家の結集を意図、1冊のみ)。

*「個性」(椎名麟三、安部公房ら執筆)「同世代」(矢内原伊作・宇佐美英治・岡本謙二郎ら)「方舟」(マチネ・ポエティックの人々による)「心」(武者小路実篤・安倍能成・小泉信三)「現代人」「表現」「改造文芸」「次元」「短歌主潮」「小説界」「未来」「文学前衛」「作品」「文芸評論」「面白倶楽部」「少年少女」創刊。カストリ雑誌「裏の裏」「希望」「猟奇ゼミナール」「性苑」「マダム」「オールロマンス」「耽奇読物」等創刊。

*尾崎一雄「虫のいろいろ」(新潮)/中山義秀「テニヤンの末日」(同)/島尾敏雄「島の果て」(VIKING)/同「夢の中での日常」(綜合文化)/大岡昇平「俘虜期」(文化界)/同「野火」(文体)/田中英光「地下室から」(芸術)/武田泰淳「愛のかたち」(個性・序曲)/大仏次郎「帰郷」(毎日新聞)/太宰治「人間失格」(展望)/同「グッド・バイ」(朝日評論)/宇野浩二「思ひ川」(人間)/伊藤整「逃亡奴隷と仮面紳士」(新文学)/正宗白鳥「自然主義盛衰史」(風雪)/安部公房「終りし道の標べに」(個性)/船橋聖一「雪夫人絵図」(小説新潮)/獅子文六「てんやわんや」(毎日新聞)/小林秀雄「ゴッホの手紙」(文体)

*金子光晴『落下傘』/福永武彦『マチネ・ポエティク詩集』/野上弥生子『迷路・第一部』/伊藤整『小説の方法』/『現代用語の基礎知識』(自由国民社)/ベネディクト・長谷川松治訳『菊と刀』上下/野田高梧『シナリオ方法論』

*ベストセラー
吉川英治『新書太閤記』『親鸞』/ドストエフスキー・米川正夫訳『罪と罰』/永井隆『この子を残して』

【昭和23年】漫画

2月
横井福次郎「冒険ターザン」を発表、10万部を売る。

8月
「冒険活劇文庫」創刊、永松健夫「黄金バット」を連載。

10月
小松崎茂「地球SOS」(冒険活劇文庫)。杉浦幸雄「アトミックのおぼん」(ホープ)。

11月
酒井七馬「海底魔」。田中正雄「謎の怪塔」。

12月
手塚治虫「前世紀―ロストワールド」を発表。松下井知夫「新バグダットの盗賊」。

*「ロストワールド」で手塚治虫が人気をよび、戦後第一次のマンガブーム。

【昭和23年】映画

1月
フランス映画の戦後第1作「美女と野獣」(監督:ジャン・コクトー 主演:ジャン・マレイ、ジョゼット・デイ)公開。

3月
ニッポン・シネマ・コーポレーション(NCC、昭和37年に日本ヘラルド映画に合併)発足。英国映画協会輸入の英国映画配給を開始。

4月26日
新東宝映画製作所、東宝から独立、株式会社新東宝に改称。

*戦後初の国産ブルーフィルム「情欲」(別名強盗)製作。

酔いどれ天使 東宝
監督:黒沢明
主演:志村喬、三船敏郎、久我美子

手をつなぐ子等 大映
監督:稲垣浩
主演:初山たかし

わが生涯の輝ける日 松竹
監督:吉村公三郎
主演:森雅之、山口淑子

破戒 松竹
監督:木下恵介
主演:池辺良

王将 大映
監督:伊藤大輔
主演:阪東妻三郎、水戸光子、三条美紀

夜の女たち 松竹
監督:溝口健二
主演:田中絹代、高杉早苗、角田富江

生きている画像 新東宝
監督:千葉泰樹
主演:大河内伝次郎、藤田進

肉体の門 吉本・大泉提携
監督:マキノ正博
主演:轟夕起子、月丘千秋

ヘンリー五世 英
監督・主演:ローレン・オリヴィエ

我等の生涯の最良の年 米
監督:ウィリアム・ワイラー
主演:マーナ・ロイ

逢びき 英
監督:デヴィッド・リーン
主演:トラバー・ハワード

海の牙 仏
監督:ルネ・クレマン

旅路の果て 仏
監督:デュヴィヴィエ
主演:ルイ・ジューベ

悪魔が夜来る 仏
監督:マルセル・カルネ
主演:アルレッティ

失われた週末 米
監督:ビリー・ワイルダー
主演:レイ・ミランド

イワン雷帝 ソ
監督:エイゼンシュテイン