【昭和31年】冥友録

1月29日 日野草城(54)
肺結核。俳人。明治34年(1901)東京下谷生まれ。京大卒。大正10年(1921)20歳で「ホトトギス」の巻頭をとり、昭和2年(1927)句集『花氷』刊行。10年(1935)俳誌「旗艦」を創刊主宰し、新興俳句運動推進の有力な拠点となったが、戦中の弾圧のため、17年(1942)より筆を折る。戦後結核に倒れ長い闘病生活が続く。24年(1949)「青玄」創刊主宰。句集に『青芝』『昨日の花』『人生の午後』など。晩年右眼を失明。
○高熱の鶴青空に漂へり

1月31日 A・A・ミルン(74)
英の随筆家、劇作家、童話作家、探偵小説家。推理小説愛好家には1922年の珠玉の一編『赤い家の秘密』、子供たちには26年『くまのプーさん』の作者として名高い。

3月8日 織田一磨(かずま)(74)
石版画家。明治15年(1882)東京生まれ。31年(1898)石版画工だった実兄の住む大阪に転居。石版技術を兄およい金子政治郎から学ぶ。36年(1903)上京、複製石版政策のかたわら、文展などに水彩画を出品。41年(1908)山本鼎らの雑誌「方寸」の同人となり創作版画運動に身を投じ、「パンの会」にも参加。大正5年(1916)より自我石版による版画作品「東京風景」「大阪風景」を連作、浮世絵の研究を始める。大正7年(1918)日本創作版画協会設立に参加、昭和4年(1916)洋風版画家委設立。

3月16日 イレーヌ・ジョリオ・キュリー(59)
パリ、キュリー財団病院で。ラジオウム発見のマリー・キュリー長女。夫のフレデリック・ジョリオと共に人口放射能を発見、1935年ノーベル化学賞。

4月2日 高村光太郎(74)
東京中野の中西アトリエにて、結核。詩人、彫刻家。明治16年(1883)東京下谷に高村光雲を父として生まれる。33年(1900)新詩社に入り、「明星」に砕雨の名で短歌を発表。35年(1902)東京美術学校卒、39年(1906)渡米、欧。ロダンに感銘をうける。帰国後、評論「緑色の太陽」を発表、文学活動を始め、「パンの会」に参加。大正元年(1912)フューザン会結成に参加。3年(1915)長沼智恵子と結婚、詩集『道程』刊行。昭和13年(1938)愛妻死去。16年(1941)『智恵子抄』刊行。戦中戦争詩を書き、戦争協力に傾いたことが大きな痛手となり、敗戦後は花巻郊外の小屋で7年間の自炊生活を送る。25年(1950)詩集『典型』刊行。彫刻作品に「光雲胸像」、木彫「蟬」「鯰」など。27年(1952)十和田湖の「裸婦像」制作のため上京、最後の作品となった。

4月5日 馬場恒吾(80)
東京・目黒区柿ノ木坂自宅で、脳出血で急死。英国から帰国後、ジャパン・タイムズ編集長。大正13年(1924)からフリーで自由主義の論客。戦中執筆停止。20年(1945)12月読売新聞社長、26年(1951)から同顧問。

4月30日 宇垣一成(87)
脳軟化症療養中肺炎を併発。清浦・加藤・若槻内閣の陸相。朝鮮総督の後近衛内閣で外相兼拓相。戦後追放後28年(1953)4月参院選出馬、全国最高点で当選、緑風会所属。

5月14日 アレクサンドル・ファジェーエフ(55)
モスクワの自宅でピストル自殺。創作、社会活動が行き詰まり絶望のため。元ソ連作家同盟書記長。エセーニン、マヤコフスキーに次ぐ文人の自殺。

6月8日 マリー・ローランサン(70)
パリで死去。フランスの女流作家。1885年パリ生まれ。初めカリエールらに師事。その後ブラック、ピカソ、アポリネールらの知己を得てキュビスムの影響を受けながら独自の感性に溢れた絵画表現に達す。

6月26日 クリフォード・ブラウン(25)
シカゴへ向かう途中自動車事故で急逝。アメリカのジャズ・トランペット奏者。ファッツ・ナヴァロの影響をうけ54年アート・ブレーキー・クィンテットで活躍。同年ブラウン&ローチ・クィンテットを結成しハード・バップ奏者として短期間ではあるが歴史に残る名演を繰り広げた。

7月4日 三木武吉(71)
上目黒の自宅で肝硬変による衰弱。香川県高松市出身。反吉田で鳩山、重光、石橋湛山らと日本民主党を結成したが、30年(1955)2月総選挙の中党分立から保守合同へ奔走、11月の自民党結成後代行委員。鳩山内閣の大黒柱だった。

7月5日 秦豊吉(64)
胃ガン。東宝取締役。戦後の新宿帝国座で日本で最初のストリップ〝額ぶちショー〟を興行した。

8月11日 ジャクソン・ポロック(44)
アルコール中毒のすえ交通事故で急逝。アメリカの画家。1912年ワイオミング州コディに生まれる。29年ニューヨークに出てメキシコ壁画運動、ヨーロッパ現代美術、インディアン文化、ユング思想等の影響を独自の感性で消化し、40年代後半に、描くべき対象、自己表現、絵画の中心等を排して身体ごと「絵の中」で描く「アクション・ペインティング」を創始。

8月14日 ベルトルト・ブレヒト(58)
東ベルリンで病没。ドイツの創作家。1898年アウグスブルクに生まれる。ミュンヘン大学に学び1922年「夜打つ太鼓」、ベルリンに移り28年「三文オペラ」で世界的な名声を獲得。33年亡命。各国を転々として48年東ドイツに帰国。劇作家と併行して展開された演劇論で従来の演劇に対して「異化」効果によって観客に働きかける弁証法的な「叙事的演劇」を提唱。

8月24日 溝口健二(58)
単球性細胞白血症のため。東京生まれ。戦前「祇園の姉妹」「残菊物語」、戦後27年(1952)「西鶴一代女」でベニス国際映画祭銀獅子賞、28年(1953)「雨月物語」で同最優秀外国映画賞、29年(1954)「山椒太夫」で同銀獅子賞を得、この年の「赤線地帯」が遺作となった。

8月25日 アルフレッド・キンゼイ(62)
「人間における性行為」のキンゼイ報告を1万2,000人の男と5,900余人の女性の告白を聞いてまとめた。

9月9日 久邇俔子(76)
黄だんのため。旧島津忠義公爵七女、故久邇宮邦彦未亡人で皇后御生母。

9月11日
閣議で、皇后が母君御臨終に間に合わなかかったのは宮内庁の形式にとらわれすぎた事務処理によるものと注意を促す。

11月21日 会津八一(76)
冠状動脈硬化症のため新潟大学附属病院にて。歌人、美術史家、書家。号秋艸道人、渾斎。明治14年(1881)新潟県生まれ。早大教授。41年(1908)奈良への史跡旅行により東洋美術への関心を深め、奈良古美術研究に多くの業績を残す。大正13年(1924)歌集『南京新唱』刊。万葉集、良寛、子規に傾倒し、総仮名わかち書きの孤高独自の歌風をきずき、書家としても超然たる一家をなし、書跡集『遊心帖』などがある。戦後帰郷、新潟日報社賓、名誉市民となる。昭和26年(1951)『会津八一全歌集』が読売文学賞受賞。生涯独身を通した。
○はつなつ の かぜ と なりぬ と みほとけ は をゆび の うれ に ほの しらす らし

【昭和31年】雑事

3月
東京―大阪夜間急行に三等寝台復活。

6月2日
東洋一のガスタンク世田谷廻沢に完成。

7月5日
東大法学部自治会の緑会が、就職試験の折の履歴書をペン自横書きにしようと「運動促進委員会」を結成、全国協議会を開いた。

7月13日
中国、初の国産車「解放」試作車10台完成。

8月8日
米NBC社、呉造船所で8万3,900トンの世界最大のタンカー、ユニバース=リーダー号進水。タンカー大型化傾向がはじまる。

8月9日
国産ジェット機F86F初飛行。

*「読売新聞」の「日曜クイズ」にはじまるボナンザグラム式暇つぶしクイズ大流行。「サンデー毎日」はクロスワードパズル。

*ソ連、原子力潜水艦完成。

*米アンペックス社、ビデオテープレコーダー(VHS)発表。

*チョウ、J・レバン(瑞典)はヒトの染色体が46本であることを確認。

【昭和31年】流行

もはや戦争ではない

神武景気

一億総白痴化

戦中派

太陽族

ドライ、ウエット

ロックンロール

なんと申しましょうか=小西得郎氏の野球解説にしばしばでてきた

深夜喫茶

白線(パイセン)=赤線、青線に対する警察用語でアパート売春

シスターボーイ=米映画「お茶と同情」からでた言葉で女性的な男性をさす

三種の神器

キャラバン・シューズ

【昭和31年】生活

5月30日
国立東京第一病院、小児マヒ予防薬ソークワクチンを初めて注射。

*「花森安治と暮しの手帖編集部」が菊池寛賞受賞。発行部数も30万を超える。

*豊胸術の材料オルガーノンの発明(白井勇治郎)により整形手術が女性の間で流行しはじめる。二重まぶた5,000円、隆鼻術1万円、ワキ毛脱毛手術が女太陽族に受けた。

*ディオール、Hラインを曲線にアレンジした〝アローライン〟(春夏)、ウエストを細く馬蹄型スカートの〝マグネットライン〟(秋冬)発表。

*鴨居羊子「下着文化論」(中央公論4月号)を発表し、7色のウイークリーパンティなど下着による自由精神提唱。

*初の南極観測隊にマネキン人形改良のダッチワイフが同行。

*スリッパ型の電気足温器発売。価格2,400円。

*電気フライパン発売。温度調節範囲80~180度C。価格2,300円。

【昭和31年】スポーツ

1月26日
第7回冬季オリンピック・コルチナ(伊)対かいで、スキー・回転の猪谷千春選手が冬季初の銀メダル獲得。

5月3日
第1回世界柔道選手権大会が国技館で開かれ、夏井昇吉が優勝。

5月6日
川崎球場で行われたセ・リーグ初ナイター大洋-広島6、7回戦で大洋の青田昇は4打席連続ホームラン(6~9号)の新記録を作った。

5月12日
甲子園で初ナイター。

5月31日
川上哲治選手(巨人)は、対中日戦で中山投手から2,000本安打を記録。16シーズン目。

8月3日
米のウィリアムス選手、100メートルに10秒1の世界新記録。

9月19日
国鉄の宮地惟友選手は対広島24回戦でプロ野球史上3人目(巨人藤本、近鉄武智文)の完全試合を達成。

9月20日
神宮球場の国有化決定。

9月28日
夏場所初優勝の大関若ノ花の長男勝雄君がチャンコ鍋で大ヤケド、死亡したが、秋場所は首から数珠をかけて場所入りし12連勝後、高熱に倒れ無念の欠場。

11月19日
大日本相撲協会は九州準本場所を来年から本場所に昇格、1年5場所となる。

【昭和31年】舞台

3月
秋田実氏上方演芸株式会社発足、ミヤコ蝶々・南都雄二、ワカサ・ひろし、いとし・こいし、A助・B助ら新劇座脱退し参加。

4月27日
女優山口淑子はニューヨーク・ブロードウェイの舞台劇「シャングリラ」出演のため再渡米。日本女優で初。

9月
イタリア歌劇団来日。

11月1日
古川緑波・桂小金治・暁テル子ら松竹浅草ミュージカル発足。「姫君に手を出すな」(常磐座)。

11月
大江美智子、芸術祭参加作品として「五木の子守唄」「天一坊」上演(大衆演劇奨励賞受賞)。

11月
梅田コマ開場。

【昭和31年】美術

3月
ルガノ国際版画展に参加。

4月28日
雪舟展(没後450年記念、東京国立博物館ほか)。

6月3日
五期会創立大会(大谷幸夫、大高正人ら若手建築家による)。

6月11日
第28回ベニス・ビエンナーレ国際美術展の日本館開館式(吉阪隆正設計)。宗方志功グランプリ受賞。

6月
日仏具象作家協会結成。

7月
第1回展。

昭和33年(1958)1月
国際具象派協会と改称。

7月21日
第1回シェル美術賞発表(田中阿喜良ほか)。

10月11日
日本建築家協会結成。

11月
「世界・今日の美術」展を機にアンフォルメル・ショックがおこり、32年8月から9月にかけてタピエ、マチュー、今井俊満らが来日、以降「具体」グループは、アンフォルメル絵画、抽象表現主義の絵画に移行。

12月14日
昨年この日に死去した安井曽太郎画伯を記念して、来年度から、「安井曽太郎記念賞」が設けられる。

*写真展=常盤とよ子「赤線地帯」/細江英公「東京のアメリカ娘」/奈良原一高「人間の土地」

*「フォトコンテスト」創刊。「カメラ」廃刊。

*濱谷浩『雪国』(毎日新聞)/島田謹介『武蔵野』(暮しの手帖社)

【昭和31年】文・学

1月30日
日本雑誌協会創立。会長石山賢吉。

2月
石原裕次郎「太陽の季節」をめぐり、「快楽と道徳論争」(佐藤春夫対船橋聖一)、「賭博論争」(亀井勝一郎対中村光夫)起こる。

2月
中野好夫「もはや戦争ではない」(文芸春秋)。

8月
「世界」で「〝戦後〟への訣別」特集。戦争は終わったかの論さかん。

9月20日
吉本隆明・武井明夫「文学者の戦争責任」。このころ、戦争責任論さかん。

*三島由紀夫「金閣寺」(新潮)/谷崎潤一郎「鍵」(中央公論)/幸田文「おとうと」(婦人公論)/きだみのる「日本文化の根底に潜むもの」(群像)/石川淳「紫苑物語」(中央公論)/深沢七郎「楢山節考」(中央公論)/井上靖「氷壁(朝日新聞)」/室井犀星「杏っ子」(東京新聞)/円地文子「妖」(中央公論)

*五味川純平『人間の条件』/江藤淳『夏目漱石』/田村隆一『四千の日と夜』/西脇順三郎『第三の神話』/五味康祐『柳生武芸帳』/柴田錬三郎『眠狂四郎』

*ベストセラー
フランクル・霜山徳爾訳『夜と霧』/石川達三『四十八歳の抵抗』/三笠宮崇仁『帝王と墓と民衆』/伊藤正徳『連合艦隊の最後』

*芥川賞
近藤啓太郎「海人舟」、
*直木賞
南條範夫「燈台鬼」、今東光「お吟さま」ほか。

*「ユリイカ」創刊。

*『マルキ・ド・サド選集』(渋沢龍彦訳・彰考書院)『岩波講座 現代思想』刊行開始。

*覆面作家沼昭三による長編小説「家畜人ヤプー」が雑誌「奇譚クラブ」に31年12月号より20回にわたり連載された。のち続編も書かれ、59年角川書店刊。2000年後の宇宙大帝国イースの英国白人女権専制貴族社会に捕獲された黄色人種の日本男性が、家畜人(ヤプー)と呼ばれ愛玩機械に改造されていく内容のマゾヒズム小説だが、壮大なスケールの人類史的SF小説ともいえる奇作。

【昭和31年】音楽

2月28日
新世界レコード(株)設立(ソ連レコードを製造販売)。

3月30日
東京混声合唱団第1回演奏会(日本青年館)。

6月13日
カラヤン、ウィーン国立新劇場総監督に就任。

9月9日
プレスリー「エド・サリバン・ショー」出演。視聴率82.6パーセント、出演料3回分5万ドル。この年「ハートブレーク・ホテル」は全米ヒットチャート8週連続1位、「ハウンド・ドッグ」6週、さらに「監獄ロック」「恋にしびれて」など次々にヒットを飛ばし、グリスで固めたリーゼント・ヘアーと革ジャンに身をかため腰を振る「俗悪=キッチュ」スタイルがロックンロールの〝不良性〟のイメージ・シンボルとなった。

9月14日
外山雄三、岩城宏之、N響臨時演奏会で指揮者としてデビュー。

「東京の人よさようなら」
歌:島倉千代子

「東京の人」
歌:三浦洸一

「リンゴ村から」
「哀愁列車」
歌:三橋美智也

「早く帰ってコ」
歌:青木光一

「愛ちゃんはお嫁に」
歌:鈴木三重子

「若いお巡りさん」
歌:曽根史郎

「どうせ拾った恋だもの」
歌:コロムビア・ローズ

「波止場だよお父っあん」
歌:美空ひばり

「哀愁の街に霧が降る」
歌:山田真二

「好きだった」
歌:鶴田浩二

「手のひらの歌」
曲:寺原信夫
詞:伊黒昭文

「沖縄を返せ」
詞:全司法福岡地裁支部

「ここに幸あり」
歌:大津美子

「ケ・セラ・セラ」
歌;ペギー葉山

「ロール・オーバー・ベートーベン」
歌:チャック・ベリー

【昭和31年】漫画

1月
横山隆一「フクちゃん」(毎日新聞)。岡部冬彦「アッちゃん」「ベビーギャング」。山根赤鬼「よたろうくん」(少年クラブ)。寺田ヒロオ「背番号0」(野球少年)。

4月
「影」(貸し本マンガの代表)創刊。早稲田大学漫画研究会(園山俊二、紫藤甲子男、東海林さだお、福地泡介ら)発足。

5月
ちばてつや『復讐のせむし男』でデビュー。東映動画発足。

7月
横山光雄「鉄人28号」(少年)。

8月
「トキワ荘」の重任、寺田ヒロオ、石森章太郎、藤子不二雄、つのだじろう、赤塚不二夫、園山俊二ら「新漫画党」結成。

9月
松下井知夫「でかんしょ武士」(東京新聞)。

10月
小島功「仙人部落」(アサヒ芸能)。

11月
「週刊漫画 TIMES」創刊、香川大雅「小町秘帖」連載。

*手塚治虫「鉄腕アトム」に人気が集まる。

*アメリカの漫画「スーパーマン」が人気。