海外移住

1月
外務省は南米の新天地開拓をめざす海外移住の振興を強くうち出し、32年度予算案で、同省総予算の5分の1に当たる約18億円を獲得、戦後最高の9,000人を送り出すことになった。一方民間の居住熱もさかんで、〝町ぐるみ移住〟の第二陣として、高知県大正町が昨年の広島県沼隅郡同様、パラグアイに3月中旬から大規模な移住を行うのをはじめ、山梨、福岡両県でも準備を進めている。

皇太子モデル映画 出演し退学勧告

1月
皇太子をモデルにした藤島泰助原作の映画「孤独の人」(日活)に出演した学習院大学政治学科4年三谷礼二君(22)が、学校当局から退学を勧告された。学校当局の言い分は「皇太子に関係ある映画だからいけない」。そもそも、学内をロケーションに使用したいという日活側の申し入れに反対して学習院側は「『孤独の人』は結局は皇室を利用して利潤を追求するものであり、皇太子の私生活をさらけ出すことは人権問題」とこれを拒絶しており、三谷君にも出演を思い止まるようすすめていたが、俳優志望の彼は〝皇太子グループの1人〟という比較的重要な役で出演を強行していたもの。なお、彼のほかにも10人ばかりの同大生が端役で出演しており、学校側はこっちの処分も考慮中とのこと。

ジラード事件

1月30日
群馬県相馬ヶ原の米ぐ年収場で、薬きょうを広いに来ていた農婦、坂井なかさん(46)が、米兵に射殺された。当初、流れ弾に当ったものと報告されたが、一緒にいた日本人農夫の証言で、米兵に「ママさん、だいじょうぶ」と呼び寄せられ、狙撃されたことが判明した。その米兵が米軍第一騎兵師団第8連隊のウィリアム・S・ジラード三等特技兵だったことから、ジラード事件とも言われる。この事件は、薬きょうを拾って生計の足しにしている基地周辺の貧しい農村の実態が浮き彫りにされたことや、日本人を冗談程度で殺してしまう米兵の心理など多くの問題を提起した。特に、事件の裁判権をめぐって日本の主権制度の実情が明らかにされたが、米側は日本の世論の高まりに行政協定の解釈問題を避け、その裁判権は日本側に委ねられた。

5月18日
検察庁はジラードを傷害致死罪で起訴。これに対して、アメリカ国内ではジラードを日本側に引き渡すなという声が高まり、米連邦最高裁まで争われたうえで、7月11日、ようやく日本に裁判権が下された。

8月26日
前橋地裁で開始。

11月19日
懲役5年の求刑に対して、懲役3年、執行猶予4年の判決が下る。軽すぎる刑に世論は納得しなかったが、検察側は控訴せず、ジラードは3週間後、日本人の花嫁を連れて帰国した。

ひばり事件マネ1号

美空ひばり事件をまねて別れた女に塩酸を浴びせた男(38)が傷害現行犯で逮捕された。男は特飲店につとめる先妻(35)に復縁を迫ったが断られたので、ひばり事件で塩酸なら軽いやけどですみ、顔に火傷ができれば水商売をあきらめ帰ってくると思ったと供述。

美空ひばり塩酸事件

「浅草国際劇場」の舞台のそでで出番待ちをしていた美空ひばりさんが、ファンのA子(19)に塩酸をかけられ、左顔面、胸、背中に全治3週間の火傷を負った。A子は山形県米沢市出身で、中学のころからひばりの大ファン。中卒後、地元の紡績会社で働いていたが、10ヵ月前に上京して会社重役のお手伝いに。ひばりの映画は欠かさず観、家に何度も電話をかけたりもしていた。13日の日も、劇場の楽屋を訪ねたが、入れてもらえず、思いがつのって、前日買ってあった塩酸で犯行に及んだらしい。逮捕後、A子は動機について「ひばりちゃんに比べて、自分は女中勤めの身で、初めはうらやましかったけど、そのうちに憎らしくなってしまった」と供述している。

スタルヒン事故死

午後10時半すぎ、世田谷区玉電三宿駅前で、渋谷発双子多摩川行き電車に後ろからフルスピードで走ってきたビクトル・スタルヒン選手(40)運転の自家用車が追突、スタルヒン選手は胸部打撲で病院に運ばれる途中死亡した。スタルヒン選手が相当酔っていたためのスピードの出し過ぎとみられる。

スタルヒン選手は北海道旭川生まれで、父は白系露人。昭和9年(1934)に連続最高殊勲選手となるなど活躍。戦後も大映、高橋と移籍、30年(1955)に球界を引退し、美容院や薬局を経営するほか、映画やラジオに出演していた。