コインロッカー・ベイビー

4月
2月5日に東京渋谷駅のコインロッカーでえい児の死体が発見されてから、3月には大阪駅の一時預かり所に保管の荷物から赤ん坊の死体発見、さらに今月になって東京錦糸町駅のコインロッカーからも赤ちゃんの死体発見、コインロッカーを死体捨て場にするものがふえている。このような例は45年(1970)2件、46年(1971)3件、47年(1972)8件だったが、今年は今月末までにすでに13件、10日に1件の割合。しかも東京、大阪、京都、神戸、名古屋、福岡、札幌、横浜といった大都市で起き、この年は計43件。

クーラー騒音訴訟

「隣家のクーラーの騒音がうるさくて眠れないうえ、イライラする」と都立両国高校定時制教諭・棚橋隆さん(52)が隣家の貴金属製造業・入倉章さん(39)を相手どって起こした「ルームクーラー騒音訴訟」で東京地裁は、「過密都市の中ですぐ違法とはいえないが、本件の場合とても耐えうる範囲ではない」と入倉さんに15万円の損害賠償を支払うよう命じた。

菊田医師、赤ちゃんあっせん

4月18日
「急告、生まれたばかりの男の赤ちゃんをわが子として育てる方を求む」と宮城県石巻市内の地元夕刊紙の片すみに広告がのった。その日の夜、広告を見た夫婦に“実子”として引き取られた。

4月20日
宮城県石巻市の菊田産婦人・肛門科医院の菊田昇院長(46)が、妊娠中絶を望む母親を説いて出産させた子を子のない夫婦に世話をし、実子として届けさせ、それまでの10年間に約100人の赤ちゃんをあっせんしていたことがわかった。「この方法が、医師としての道義的責任に基づいた解決策だった」とする菊田院長は、実子特例法(もらい子を実子として戸籍に記載できる制度)を認めるべきだと提唱し、法か生命かと大きな論争となった。

9月29日
「1人でアパートで生んだ子です。先生なんとか育ててくれる人がいたらお願いします」と置き手紙とともに生後間もない女の赤ちゃんが、菊田医院の軒先に捨てられていた。

昭和53年(1978)2月
仙台地検は菊田院長を医師法違反、公正証書不実記載、同行使罪で仙台簡裁に略式起訴、即日、同簡裁は罰金20万円の略式命令を出した。

昭和62年(1987)1月
法制審は特別養子制度を新設、実子特例法が事実上確立した。

死後の世界へ体験自殺

「私は霊魂の存在、死後の世界を信じております。それを確認するために死んでみることにしました」と毎日新聞東京本社に千葉県安房郡に住む金子政光君(15)=同県立安房高1年=から1通の遺書が届いた。本社はすぐ家族や警察に手配したが、政光君はすでに“予告”どおり、千葉県富津市金谷の鋸山山頂の断がいから飛び降り自殺をしていた。政光君は中学のころ、常に1、2番を争った秀才少年で、最近は死後の“自分”の世界に関心を寄せていたという。

ウォーターゲート事件

4月17日
ニクソン大統領が、ウォーターゲート事件(民主党本部盗聴)にホワイトハウスが関係している可能性を示唆。

4月20日
ミッチェル前司法長官が連邦大陪審で、民主党の選挙戦略に関する“情報収集”の共同謀議に加わっていたことを認めた。

4月27日
事件証拠物件の隠滅問題でグレイ米連邦捜査局長官代行が辞任。

4月30日
ニクソン大統領が同事件に関連してハルドマン、アーリックマン両補佐官、ディーン・ホワイトハウス法律顧問、クラインディーンスト司法長官の辞任を発表、全米向けテレビ演説で国民に釈明、新任のリチャードソン司法長官に特別監査検察官の任命を含め事件捜査の全権を与えると言明。

5月17日
米上院、ウォーターゲート特別調査委員会で公聴会開始。

5月22日
ニクソン大統領はジーグラー報道官を通じて長文の声明を出し、大統領の立場を弁明。この中で昨年6月の事件発生直後、国家機密が公になるのを防ぐため、ハルドマン首席補佐官、グレイFBI長官代理ら(いずれも当時)にこの事件に対するFBIの捜査活動を限定するよう指示したことを明らかにした。ニクソン大統領はこの指示について事件のもみ消しを意図したものではなかったが、結果として直属の部下たちが拡大解釈し、広範な事件もみ消し工作の原因となったことを認めたことになる。しかし大統領自身は、事件に無関係であることを強調、大統領を辞職する意向のないことを明らかにした。

6月25日
米上院ウォーターゲート事件調査委で元大統領法律顧問ジョン・ディーンがニクソン大統領自身が事件の共謀にかかわっていたと証言。

8月29日
米連邦地裁がウォーターゲート事件究明の重要証拠とみられるニックソン大統領会話録音テープの提出を命令する。

10月20日
大統領がテープの提出を要求したコックス特別検察官を解任。これに抗議して側近のリチャードソン司法長官が辞任。

10月23日
大統領がテープを連邦地裁に提出と通告した。

国電暴動とゼネスト

4月16日
国労と動労が午前0時から全国一斉に順法闘争に突入。

4月17日
「年金統一スト」で春闘共闘参加盟の53単産、約350万にんがストに突入。国労も全国200の拠点で24時間ストに、私鉄総連、都市交通労組も早朝ストに入ったが、国鉄労使の歩みよりで国労は午前10時半スト中止を指令。

4月24日
国労協が統一ストに突入、全林野、全専売がストを中止、全逓も半日ストにダウンしたが、順法闘争による電車、列車の遅れに腹を立てた乗客が、上野、新宿、赤羽、有楽町など都内38駅や大宮駅で電車に放火、駅事務室や電車58両を破壊するなど、138人を逮捕。首都圏の国鉄は夜に入りほぼ全面的にストップ、国労は東京地本に対し中止命令を出し、動労も協力順法闘争を一時中止し緊急運転を指令した。

4月25日
政府が「政治的要求をかかげてのストは民主主義体制への挑戦で容認できない」と官房長官談話を発表。3公社5現業当局が公労委に調停を申請した。

4月26日
動労、全逓、全電通など公労協各組合が朝からゼネストに突入。

4月27日
国労も午前0時から72時間ストに、私鉄総連、公営交通機関の都市交通労組も始発時からストに加わり、民間の交通、運輸労組も参加した。私鉄ストは1万4,700円という中労委のあっせん賃上げ案で午後2時前妥結、公労協のストも、夕刻二階堂官房長官ら関係閣僚と市川総評議長、大き事務局長ら春闘共闘委による“準トップ会談”で「スト権」を中心とする政治的問題につき最終合意に達し事実上収束した。しかし国鉄各線のダイヤは終日空ハックが続いた。

4月28日
公労委が加重平均で1万4,078円の案を示し、労使が不満で仲裁に移行してストは中止。